イザベラ・フォン・ルクセンブルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イザベラ・フォン・ルクセンブルク
Isabella von Luxemburg

出生 1247年
死去 1298年9月
配偶者 フランドル伯ギー・ド・ダンピエール
子女 本文参照
家名 ルクセンブルク家
父親 ルクセンブルク伯ハインリヒ5世
母親 マルグリット・ド・バル
テンプレートを表示

イザベラ・フォン・ルクセンブルクドイツ語:Isabella von Luxemburg, 1247年 - 1298年9月)は、フランドル伯ナミュール侯ギー・ド・ダンピエールの2番目の妃。

生涯[編集]

イザベラはルクセンブルク伯ハインリヒ5世マルグリット・ド・バルの第3子として生まれた[1]

1265年3月、イザベラはギー・ド・ダンピエールと結婚した[2]。この結婚はイザベラが生まれる何年も前から決められていた。1265年ごろ、イザベラの曾祖父ルクセンブルク伯ナミュール伯ハインリヒ4世は最初の結婚で子供をもうけることができなかった。そこでハインリヒ4世は義弟エノー伯ボードゥアン4世を後継者に指名した。その後ボードゥアン4世が1171年に死去したため、ハインリヒ4世はボードゥアン4世の息子ボードゥアン5世を後継者とした。しかし、ハインリヒ4世はもう一度自分の子供を得ようと考え、アグネス・フォン・ゲルデルンと再婚した。アグネスは一人娘エルメジンデを産み、ハインリヒ4世はボードゥアン5世との約束を反故にした。そのため戦争が続き、最終的にボードゥアン5世はナミュール領の継承者に指名された。

イザベラの父ハインリヒ5世はエルメジンデの息子としてナミュールに対する権利を主張したが、失敗に終わった。イザベラの両親はナミュール問題についてギー・ド・ダンピエールと和平を結びたいと考え、イザベラはギーと結婚することになった。ギーの最初の妃マティルドは1年前に死去していたが、すでにマティルドとの間に8人の子供がいた。

ギーは2人の間の娘フィリッパとイングランド王太子エドワードとの結婚を決めた。しかし、フランス王フィリップ4世はギーと2人の息子を投獄してこの結婚を取りやめさせ、娘フィリッパを1306年に死去するまでパリで幽閉した。ギーは1296年にフィリップ4世に再び召喚され、フランドルの主要な町はギーが保持するために補償金を支払い領土を明け渡すまで、フランス王の保護下に置かれた。

イザベラは1298年9月に死去し、夫ギーはその6年後の1304年に死去した。

子女[編集]

ギー・ド・ダンピエールとの間に以下の子女が生まれた。

  • ジャン1世(1267年 - 1330年) - ナミュール侯(1297年 - 1331年)、1308年にクレルモン伯ロベールの娘マルグリットと結婚、のちフィリップ・ダルトワの娘マリーと結婚。
  • ギー(1272年頃 - 1311年) - ロンセ領主、ゼーラント伯。ロレーヌ公ティボー2世の娘マルグリットと結婚
  • アンリ(1337年11月6日没) - ローディ伯、1309年にクレーフェ伯ディートリヒ6世(8世)の娘マルガレーテと結婚
  • ベアトリス(1307年没) - 1287年頃にブロワ伯ユーグ2世・ド・シャティヨンと結婚[3]
  • マルグリット(1272年 - 1331年) - 1282年11月14日にロクスバラでスコットランド王子アレグザンダー(アレグザンダー3世の子)と結婚[4]、1286年7月3日にナミュールゲルデルン伯レイナウト1世と結婚。
  • イザベル(1323年没) - 1307年にタングリー領主、ブルブール領主ジャン・ド・フィエンヌと結婚
  • フィリッパ(1306年没) - フランス王フィリップ4世に幽閉され、パリで死去した。
  • ジャンヌ(1296年没) - フランヌ修道院の修道女

脚注[編集]

  1. ^ Arblaster 2012, p. 81.
  2. ^ Verbruggen 2002, p. 8.
  3. ^ Fegley 2002, p. 104.
  4. ^ Pollock 2015, p. 167.

参考文献[編集]

  • Arblaster, Paul (2012). A History of the Low Countries. Palgrave Macmillan 
  • Fegley, Randall (2002). The Golden Spurs of Kortrijk: How the Knights of France Fell to the Foot Soldiers of Flanders in 1302. McFarland & Co. 
  • Pollock, M.A. (2015). Scotland, England and France After the Loss of Normandy, 1204-1296. The Boydell Press 
  • Verbruggen, J. F. (2002). DeVries, Kelly. ed. The Battle of the Golden Spurs (Courtrai, 11 July 1302). Boydell Press