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'''盆石'''(ぼんせき)とは、白い砂 |
'''盆石'''(ぼんせき)とは、白い砂と小さな自然石を用いて、[[漆工|漆塗]]の[[盆]]の上に小さな庭園を形成する縮景芸術である<ref name=":0">{{Cite web|title=細川流盆石-盆石とは|url=http://www.bonseki.gr.jp/whatsbonseki.html|website=www.bonseki.gr.jp|accessdate=2021-09-16}}</ref>。 |
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[[ファイル:Mt_fuji_bonseki.jpg|サムネイル|盆画の例]][[ファイル:Bonseki_artist_at_work.jpg|サムネイル|制作過程]] |
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盆石に用いられる盆は楕円形または長方形で、大きさは約30平方センチメートルから最大200×150センチメートル(最も一般的なものは60×35)。通常、楕円形の盆にはふちがあるが、長方形の盆は平坦である。 |
盆石に用いられる盆は楕円形または長方形で、大きさは約30平方センチメートルから最大200×150センチメートル(最も一般的なものは60×35)。通常、楕円形の盆にはふちがあるが、長方形の盆は平坦である。 |
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黒い盆の上に小さな自然石を置いて山々を表し、白砂を撒いた後に羽根や小さなホウキで流れや波を描き、雄大な海や川を表現する<ref name=":0" />。 |
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盆石の制作(「盆石を打つ」という)には、[[羽]]や小さな[[ホウキ|ほうき]]と[[篩|ふるい]]、[[さじ]]、[[箸]]などの繊細な道具が使われる。小さな石や岩は、[[波]]で砕ける山や[[海岸線]]または岩の多い[[島]]を表現するために使われ、銅製の小さな[[家]]、[[寺院]]、[[橋]]などがしばしば添えられる。 |
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盆石は通常、一時的なものであるが、時には加工して保存することも可能である。この場合、 ''盆画や''砂画などの技法も用いられる。 |
盆石は通常、一時的なものであるが、時には加工して保存することも可能である。この場合、 ''盆画や''砂画などの技法も用いられる。 |
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[[ファイル:Yōshū_Chikanobu_Setsu_Gekka_Series_II_Bonkei.jpg|左|サムネイル|満月を示す盆風景を作る女性。 [[楊洲周延]]による[[浮世絵]]、1899年|320x320ピクセル]] |
[[ファイル:Yōshū_Chikanobu_Setsu_Gekka_Series_II_Bonkei.jpg|左|サムネイル|満月を示す盆風景を作る女性。 [[楊洲周延]]による[[浮世絵]]、1899年|320x320ピクセル]] |
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== 歴史 |
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盆石の歴史は、1000年以上前に遡り、大地の象徴である石を愛観したことに由来するとされる<ref name=":1">{{Cite web|title=石と砂の伝統芸術 細川流盆石|url=https://www.higo-hosokawa.jp/2017/01/08/%E7%9F%B3%E3%81%A8%E7%A0%82%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E8%8A%B8%E8%A1%93-%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%B5%81%E7%9B%86%E7%9F%B3/|website=肥後細川庭園|accessdate=2021-09-16|language=ja}}</ref>。室町時代、足利義政が茶道とともに確立したとも言われる<ref>{{Citation|title=「切り絵」に魅了されたブルガリア人女性が番組史上最大の進化!さらに、壮大な新たな目標も!:世界!ニッ...|テレ東プラス|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/lifestyle/entry/2021/023928.html|accessdate=2021-09-16|language=ja|first=株式会社テレビ東京-TV TOKYO|last=Corporation}}</ref>。 |
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その起源ははっきりしないが、飛鳥時代、[[天武天皇]]のころに自然界の風景や物を表現する同様の技術があったといい、また[[京都市|京都]]の庭園において、設計の際に盆石を庭のスケールモデルとして用いることがあったとも考えられている。 |
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室町時代、[[足利義政]]、[[千利休]]、[[細川忠興]]らによって、盆石の基礎が整えられた<ref>{{Cite web|title=盆石|url=https://minato-unesco.jp/blog/schedule/post-2528/|website=港ユネスコ協会|accessdate=2021-09-16|language=ja|last=港ユネスコ協会}}</ref>。[[江戸時代]]に入ると、茶室の床飾りとして茶道と合流し、江戸時代中期から末期には縮景藝術として独立した<ref name=":1" />。[[細川幽斎]]・細川山斎父子が始祖となり、細川流盆石を開いた<ref name=":1" /><ref>{{Cite web|title=儚さも魅力!日本の伝統芸術、盆石の歴史。|url=https://www.j-wave.co.jp/blog/lohastalk/2016/07/post_2371.html|website=www.j-wave.co.jp|accessdate=2021-09-16|publisher=j-wave}}</ref>。細川流の他にも、石洲流<ref>{{Cite web|title=国立のギャラリーで「石州流盆石」展 その場で作る「席打ち」も|url=https://tachikawa.keizai.biz/headline/2422/|website=立川経済新聞|accessdate=2021-09-16}}</ref>などの流派がある。明治維新後は、急速に訪れた西洋のモダニズムや文化面の成長とともに衰退していった。 |
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[[虎関師錬]](1278-1346)による随筆『盆石賦』では、実物大から箱庭盆石まで、設計思想の基礎となる美的原則が強調される。これは分野開発に関しても非常に重要で、日本庭園、盆石、盆栽やその関連技術が記述されている。『盆石賦』には明らかに[[宋 (王朝)|中国宋時代]]の文学から影響が見られるが、虎関師錬の一見シンプルでわかりやすい語りは、日本における大きな文化的変革となるものへの早い段階での見識をもたらすことになる。[http://www.landscapesymphonies.com/Newsletter%20-%20Japan.pdf] |
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室町時代には、[[東山文化]]を築いた将軍[[足利義政]](1443-1490)の影響下で、盆石は[[貴族]]の間でも人気となる。 |
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中国の盆景のうち、石を盆の上に立てて鑑賞することを盆石と呼ぶ<ref>{{Cite journal|last=樹華|first=李|date=1994|title=中国盆景名称考|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila1994/58/5/58_5_61/_article/-char/ja/|journal=ランドスケープ研究|volume=58|issue=5|pages=61–64|doi=10.5632/jila.58.5_61}}</ref>。朝鮮においても、類似の文化が存在する<ref>{{Cite journal|last=樹華|first=李|date=1998|title=朝鮮盆栽・盆石の確立における中国の影響|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila1994/62/5/62_5_423/_article/-char/ja/|journal=ランドスケープ研究|volume=62|issue=5|pages=423–428|doi=10.5632/jila.62.423}}</ref>。 |
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また[[千利休]]も盆石をおさめ、弟子のひとりである[[細川忠興|細川三斎]]は、盆石を専門にした教授所を設立している。 |
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[[江戸時代]]には、その人気が高まるにつれて、次々と多くの教授所が誕生した。将軍から女性の間にまで人気が広まる盛況をみせたが、明治維新後は、急速に訪れた西洋のモダニズムや文化面の成長とその定着と共に衰退していった。 |
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近年では、盆石はその伝統的な優雅さを維持しながら、新しい細川流派グループの出現と共に人気が復活し親しまれている。<ref>そのひとつが細川学園の盆石東京九曜会である。盆石東京九曜会は細川学院元理事の生徒の集まりである。 |
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盆石東京九曜会によると、盆石の目的は景自体の完成でもなく、その保存でもない。東京九曜会会長は次のように述べている。「盆石の重要性は、作品の結果ではなく、盆石のシーンの創造から生まれる平和と満足感にあります。」 </ref> |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2021年9月16日 (木) 05:03時点における版
盆石(ぼんせき)とは、白い砂と小さな自然石を用いて、漆塗の盆の上に小さな庭園を形成する縮景芸術である[1]。
概要
盆石に用いられる盆は楕円形または長方形で、大きさは約30平方センチメートルから最大200×150センチメートル(最も一般的なものは60×35)。通常、楕円形の盆にはふちがあるが、長方形の盆は平坦である。
黒い盆の上に小さな自然石を置いて山々を表し、白砂を撒いた後に羽根や小さなホウキで流れや波を描き、雄大な海や川を表現する[1]。
盆石の制作(「盆石を打つ」という)には、羽や小さなほうきとふるい、さじ、箸などの繊細な道具が使われる。小さな石や岩は、波で砕ける山や海岸線または岩の多い島を表現するために使われ、銅製の小さな家、寺院、橋などがしばしば添えられる。
盆石は通常、一時的なものであるが、時には加工して保存することも可能である。この場合、 盆画や砂画などの技法も用いられる。
歴史
盆石の歴史は、1000年以上前に遡り、大地の象徴である石を愛観したことに由来するとされる[2]。室町時代、足利義政が茶道とともに確立したとも言われる[3]。
室町時代、足利義政、千利休、細川忠興らによって、盆石の基礎が整えられた[4]。江戸時代に入ると、茶室の床飾りとして茶道と合流し、江戸時代中期から末期には縮景藝術として独立した[2]。細川幽斎・細川山斎父子が始祖となり、細川流盆石を開いた[2][5]。細川流の他にも、石洲流[6]などの流派がある。明治維新後は、急速に訪れた西洋のモダニズムや文化面の成長とともに衰退していった。
類語
中国の盆景のうち、石を盆の上に立てて鑑賞することを盆石と呼ぶ[7]。朝鮮においても、類似の文化が存在する[8]。
脚注
- ^ a b “細川流盆石-盆石とは”. www.bonseki.gr.jp. 2021年9月16日閲覧。
- ^ a b c “石と砂の伝統芸術 細川流盆石”. 肥後細川庭園. 2021年9月16日閲覧。
- ^ Corporation株式会社テレビ東京-TV TOKYO『「切り絵」に魅了されたブルガリア人女性が番組史上最大の進化!さらに、壮大な新たな目標も!:世界!ニッ...|テレ東プラス』 。2021年9月16日閲覧。
- ^ 港ユネスコ協会. “盆石”. 港ユネスコ協会. 2021年9月16日閲覧。
- ^ “儚さも魅力!日本の伝統芸術、盆石の歴史。”. www.j-wave.co.jp. j-wave. 2021年9月16日閲覧。
- ^ “国立のギャラリーで「石州流盆石」展 その場で作る「席打ち」も”. 立川経済新聞. 2021年9月16日閲覧。
- ^ 樹華, 李 (1994). “中国盆景名称考”. ランドスケープ研究 58 (5): 61–64. doi:10.5632/jila.58.5_61 .
- ^ 樹華, 李 (1998). “朝鮮盆栽・盆石の確立における中国の影響”. ランドスケープ研究 62 (5): 423–428. doi:10.5632/jila.62.423 .
関連項目
その他のプロジェクト
- Wikimedia Commons contiene immagini o altri file su bonseki