「キックリ」の版間の差分

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2019年12月24日 (火) 07:05時点における版

キックリ文書が刻まれた2枚の粘土板

キックリ・テキストドイツ語: Kikkuli-Text, KUB I13I)[1]は、1906年にアナトリア半島ボアズキョイフーゴー・ヴィンクラーが発見した粘土板(タブレット)の一つである。4枚のタブレットからなる KUB I13I は楔形文字が刻まれており、後に解読されたところによると、キックリKikkuli)という人物が馬匹の給餌や調教について述べた文章であった。キックリは紀元前15世紀に生きたミタンニ出身のフルリ人である。またボアズキョイは、その後の研究で、ヒッタイト新王国の首都、ハットゥシャのあった場所であることがわかった。

言語学的知見

4枚のタブレットはそれぞれ別の書記により書かれている。紀元前15世紀に書かれたテキストを前13世紀に新ヒッタイト語へ翻訳したものであると考えられている[1]

ボアズキョイ出土のタブレット群はアッカド語を記述したものと同じ楔形文字で書かれているが、当初は読めず、1915年にベドジヒ・フロズニーにより印欧語族に属する言葉(ヒッタイト語)であることが明らかにされた[2]。キックリ・テキストもヒッタイト語で書かれたものであるが一部にフルリ語の古い表現が残り、しかもその表現には、ヒッタイト学者ドイツ語版アンネリース・カムメンフーバードイツ語版によると、文法上の誤りが散見されるという[3]。また、言語学者のマンフレッド・マイヤーホーファーによると、数詞や職名など一部の専門用語に、明らかにインド語派の古代語と共通性がある語彙が含まれるという[4]

キックリ・テキストは、「ミタンニ生まれの馬匹調教の達人キックリは語る」 (UM.MA Ki-ik-ku-li a-aš-šu-uš-ša-an-ni ŠA KUR URUMI-IT-TA-AN-NI)という文言で始まる[5]

テキストの内容

ヒッタイトの戦車

Nyland (2009)は、1991年から1992年にかけてオーストラリアにて、複数のアラブ種の馬に対してキックリ文書に記載された七か月間のプログラムを適用し、キックリ文書の再現実験を試みた[5]

キックリ・テキストが取り扱う内容は、馬の体調管理に限っており、育成については取り扱っていない[5]。ミタンニ人は馬の調教のやり方を広めることに貢献した民族だった。ヒッタイト人はキックリから馬の扱い方を教わった結果として、強力な戦車(チャリオット)の軍団をそろえることができ、現在のトルコ、シリア、レバノン及びイラク北部を含む大帝国を築き上げた[5]:11-17。しかしながら、キックリは、馬を戦車に繋いで行う訓練に費やす時間よりも長い時間を、速歩や駈歩をさせることに費やしている[5]:24-27

キックリが教える体調管理法においては、驚くべきことに、現代の総合馬術エンデュランス馬術競技の騎手が効果的に用いる「インターバル・トレーニング」がすでに用いられていた。馬を厩舎につなぎ、湯で洗い、燕麦大麦を少なくとも日に三回与えるという点では、キックリのやり方は現代の普通の馬の世話の仕方と変わらない。その一方で、キックリは、整理運動(ウォーム・ダウン)を行わせること[5]:119-130、さらに、駈歩のたびごとに馬の緊張をほぐすために休憩を入れ、進んだ訓練法として駈歩のインターバルに運動を行うことを推奨している[5]:40。これはこんにちインターバル・トレーニングとして知られているものと同様のものである。この方法は、1960年代ごろになって初めて馬スポーツの専門家により研究されたものである[5]:60

また、キックリの体調管理プログラムは、訓練の継続、負荷のピークをシフトさせること、電解質置換理論、ファートレック英語版・トレーニング、インターバルと反復といった、近代的なスポーツ理論に比定することができるような「スポーツ医学」を含んでおり、これにより筋繊維がじわじわと引き締まって均整のとれた馬体へと馬を導くことができる[5]:38

出典

  1. ^ a b 高橋幸一「F.シュタルケによるキックリ・テキストの馬術論的考察」『スポーツ人類学研究』第1999巻第1号、日本スポーツ人類学会、1999年、79-88頁、doi:10.7192/santhropology.1999.79ISSN 134543582017年10月5日閲覧 
  2. ^ Christian Falvey (2009年). “Bedřich Hrozný – re-discoverer of the Hittite language”. Radio Prague. 2017年10月5日閲覧。
  3. ^ Kammenhuber, Annelies (1961). Hippologia hethitica. Wiesbaden: Harrassowitz 
  4. ^ Mayrhofer, Manfred (1982). “Welches Material aus dem Indo-arischen von Mitanni verbleibt für eine selektive Darstellung?”. Investigationes philologicae et comparativae. Gedenkschrift für Heinz Kronasser. (Wiesbaden: Harrassowitz): 72–90. ISBN 3-447-02173-X. 
  5. ^ a b c d e f g h i Nyland, Ann (2009). The Kikkuli Method of Horse Training (Revised ed.). Sydney: Maryannu Press