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== 人物 ==
== 人物 ==
芸術に造詣が深いことで知られ、運営する学園のキャンパスなどを自ら設計している<ref>参考:[http://www.teu.ac.jp/topics/2009/016129.html 東京工科大学 2009年のトピックス 第二回 最先端の研究に触れられる!オープンキャンパスの楽しみ方]</ref>。[[東京工科大学片柳研究所]]完成記念式典で祝辞を述べた[[石原慎太郎]]と親交がある。
芸術に造詣が深いことで知られ、運営する学園のキャンパスなどを自ら設計している<ref>参考:[http://www.teu.ac.jp/topics/2009/016129.html 東京工科大学 2009年のトピックス 第二回 最先端の研究に触れられる!オープンキャンパスの楽しみ方]</ref>。[[東京工科大学片柳研究所]]完成記念式典で祝辞を述べた[[石原慎太郎]]と親交がある。

大東亜戦争では、大日本帝国陸軍上等兵としてインパール作戦で特務機関兵として現地人の服装で工作活動に従事した。

戦後、「我々生き残った者は戦死した人たちの犠牲のもとにある。生き残った者が復興に励み、戦前以上の日本国にまで発展させることは、亡き戦友たちに対する償いを思ってやってきた」と語っている。<ref>{{Cite book|author=|title=戦慄の記録 インパール|url=http://dx.doi.org/10.1007/3-8350-5701-4_26|date=|year=|accessdate=|publisher=岩波書店|isbn=4000612852|pages=215–216|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>


== 略歴 ==
== 略歴 ==

2018年9月21日 (金) 06:38時点における版

片柳 鴻(かたやなぎ こう、1920年10月8日 - )は、日本の教育者、芸術家。創美学園(現・学校法人片柳学園)の創立者、同学園理事長。1985年4月29日藍綬褒章受章。

来歴

株式会社東芝に勤務していたが学生教育を志して退社し、1947年に絵画と洋裁の2学科で創立した創美学園は、現在は大学や専門学校を合わせ持つ片柳学園であり、教育機関の経営者として手腕と貢献が認められて1985年に藍綬褒章を賜った[1]2008年に学者や研究者を奨励する目的で設立された片柳コンピュータ科学賞へ資金提供するなど、現在も理想の教育を目指して教育環境の充実に務めている。戦争の経験者でもある[2]

人物

芸術に造詣が深いことで知られ、運営する学園のキャンパスなどを自ら設計している[3]東京工科大学片柳研究所完成記念式典で祝辞を述べた石原慎太郎と親交がある。

大東亜戦争では、大日本帝国陸軍上等兵としてインパール作戦で特務機関兵として現地人の服装で工作活動に従事した。

戦後、「我々生き残った者は戦死した人たちの犠牲のもとにある。生き残った者が復興に励み、戦前以上の日本国にまで発展させることは、亡き戦友たちに対する償いを思ってやってきた」と語っている。[4]

略歴

  • 1920年 栃木県佐野市にて出生
  • 1975年 第20回新世紀美術協会展入選
  • 1977年 新世紀美術協会準会員
  • 1979年 白亜美術協会設立委員
  • 1980年 第12回日本美術展覧会入選(以後同展覧会17年連続入選)、第4回日洋展三越奨励賞
  • 1982年 第6回白亜美術協会参議院議長賞
  • 1985年 藍綬褒章
  • 1987年 日洋会会員
  • 1989年 日洋会委員
  • 1990年 日展会友
  • 2002年 第16回日洋会委員功労賞
  • 2016年 旭日小綬章

業績・活動

著書

脚注

  1. ^ 参考:学校法人片柳学園沿革
  2. ^ 参考:早稲田機友会 WME Newsletter 第21号 March 2004
  3. ^ 参考:東京工科大学 2009年のトピックス 第二回 最先端の研究に触れられる!オープンキャンパスの楽しみ方
  4. ^ 戦慄の記録 インパール. 岩波書店. pp. 215–216. ISBN 4000612852{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。. http://dx.doi.org/10.1007/3-8350-5701-4_26