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[[File:Zwei von insgesamt vier Tafeln des Kikkuli-Textes.jpg|thumb|キックリ文書が刻まれた2枚の粘土板]]
'''キックリ'''(Kikkuli)は、[[ハットゥシャ|ボアズキョイ遺跡]]から出土した、[[チャリオット]](軽戦車)を牽引する馬匹の調教について書かれた、[[紀元前15世紀]]末-14世紀前半に編まれたものと推定される[[ヒッタイト語]]文書に登場する[[ミタンニ]]出身の[[フルリ人]]の人名。
'''キックリ・テキスト'''({{lang-de|Kikkuli-Text}}, KUB I13I)<ref name="Takahashi1999" />は、1906年に[[アナトリア半島]]の[[ボアズキョイ]]で[[フーゴー・ウィンクラー|フーゴー・ヴィンクラー]]が発見した粘土板(タブレット)の一つである。4枚のタブレットからなる KUB I13I は[[楔形文字]]が刻まれており、後に解読されたところによると、'''キックリ'''({{lang|und|Kikkuli}})という人物が馬匹の給餌や調教について述べた文章であった。キックリは紀元前15世紀に生きた[[ミタンニ]]出身の[[フルリ人]]である。またボアズキョイは、その後の研究で、[[ヒッタイト|ヒッタイト新王国]]の首都、[[ハットゥシャ]]のあった場所であることがわかった。


==言語学的知見==
== キックリ文書 ==
4枚のタブレットはそれぞれ別の書記により書かれている。紀元前15世紀に書かれたテキストを前13世紀に新ヒッタイト語へ翻訳したものであると考えられている<ref name="Takahashi1999" />。
馬の調教師(aššuššanni)キックリの文書は保存状態が良く、馬に軽戦車を牽かせる前に行うべき調教が、1080行に184日にわたり詳しく記述されている。


[[1906年]]に[[ヒッタイト]]の都ボアズキョイの発掘で発見され。4枚粘土板文書に記されておりそれぞれ別の書記により書かれている。[[紀元前13世紀]]に[[ヒッタイト語]]で筆写されたものであるが一部に[[フルリ語]]の古い表現が残る。の[[フルリ語]]の表現には、Kammenhuber (1961) によると、文法上の誤りが散見されるという{{sfn|Kammenhuber|1961}}。また、Mayrhofer (1982) によると、数詞や職名など一部の専門用語に、明らかに[[インド語派]]と共通性がある語彙が含まれるという{{sfn|Mayrhofer|1982}}
ボアズキョイ出土タブレット群は[[アッカド語]]を記述しと同じ楔形字でれているが当初は読めず、1915年に[[ベドジフ・フロズニー|ベドジヒ・フロズニー]]により[[印欧語族]]に属する言葉([[ヒッタイト語]]あることが明らかにれた<ref name="radio_prague" />。キックリ・テキストもヒッタイト語で書かれたものであるが一部に[[フルリ語]]の古い表現が残り、しかもその表現には、{{仮リンク|ヒッタイト学|de|Hethitologie|label=ヒッタイト学者}}の{{仮リンク|アンネリース・カムメンフーバー|de|Annelies Kammenhuber|label=}}によると、文法上の誤りが散見されるという<ref name="Kammenhuber1961" />。また、言語学者の[[マンフレッド・マイヤーホーファー (言語学者)|マンフレッド・マイヤーホーファー]]によると、数詞や職名など一部の専門用語に、明らかに[[インド語派]]の古代語と共通性がある語彙が含まれるという<ref name="Mayerhofer1982" />


キックリ・テキストは、「ミタンニ生まの馬匹調教の達人キックリは語る」 (''UM.MA Ki-ik-ku-li'' <sup>LÚ</sup>''a--šu--ša-an-ni'' ''ŠA'' KUR <sup>URU</sup>''MI-IT-TA-AN-NI'')という文言で始まる<ref name="Nyland2009" />
===内容===
[[ミタンニ]]国の優調教師、キックリは、こう語る」 (''UM.MA Ki-ik-ku-li'' <sup>LÚ</sup>''A--ŠU--ŠA-AN-NI ŠA'' KUR <sup>URU</sup>''MI-IT-TA-AN-NI'')<ref>『キックリ文書』第1行目から第4行目</ref>


==テキストの内容==
キックリ文書はこのように始まり、214日間にわたるヒッタイトの軍馬の体調管理方法(運動や給餌)を、欠落したところがない形で伝える{{sfn|Nyland|2009|p=9}}。
[[File:Hittite Chariot.jpg|thumb|ヒッタイトの戦車]]
{{harvtxt|Nyland|2009}}は、1991年から1992年にかけてオーストラリアにて、複数の[[アラブ種]]の馬に対してキックリ文書に記載された七か月間のプログラムを適用し、キックリ文書の再現実験を試みた<ref name="Nyland2009" />


キックリ文書が取り扱う内容は、馬の体調管理に限っており、育成については取り扱っていない{{sfn|Nyland|2009|ps=, passim.}}。ミタンニ人は馬の調教のやり方を広めることに貢献した民族だった。ヒッタイト人はキックリから馬の扱い方を教わった結果として、強力な戦車([[チャリオット]])の軍団をそろえることができ、現在のトルコ、シリア、レバノン及びイラク北部を含む大帝国を築き上げた{{sfn|Nyland|2009|pp=11-17}}。しかしながら、キックリは、馬を戦車に繋いで行う訓練に費やす時間よりも長い時間を、[[歩法_(馬術)|速歩や駈歩]]をさせることに費やしている{{sfn|Nyland|2009|pp=24-27}}。
キックリ・テキストが取り扱う内容は、馬の体調管理に限っており、育成については取り扱っていない<ref name="Nyland2009" />。ミタンニ人は馬の調教のやり方を広めることに貢献した民族だった。ヒッタイト人はキックリから馬の扱い方を教わった結果として、強力な戦車([[チャリオット]])の軍団をそろえることができ、現在のトルコ、シリア、レバノン及びイラク北部を含む大帝国を築き上げた<ref name="Nyland2009" />{{rp|11-17}}。しかしながら、キックリは、馬を戦車に繋いで行う訓練に費やす時間よりも長い時間を、[[歩法_(馬術)|速歩や駈歩]]をさせることに費やしている<ref name="Nyland2009" />{{rp|24-27}}。


キックリが教える体調管理法においては、驚くべきことに、現代の[[総合馬術]]や[[エンデュランス馬術競技]]の騎手が効果的に用いる「[[インターバルトレーニング|インターバル・トレーニング]]」がすでに用いられていた。馬を[[厩舎]]につなぎ、湯で洗い、[[燕麦]]や[[大麦]]を少なくとも日に三回与えるという点では、キックリのやり方は現代の普通の馬の世話の仕方と変わらない。その一方で、キックリは、整理運動(ウォーム・ダウン)を行わせること{{sfn|Nyland|2009|pp=119-130}}、さらに、駈歩のたびごとに馬の緊張をほぐすために休憩を入れ、進んだ訓練法として駈歩のインターバルに運動を行うことを推奨している{{sfn|Nyland|2009|p=40}}。これはこんにちインターバル・トレーニングとして知られているものと同様のものである。この方法は、1960年代ごろになって初めて馬スポーツの専門家により研究されたものである{{sfn|Nyland|2009|p=10}}。
キックリが教える体調管理法においては、驚くべきことに、現代の[[総合馬術]]や[[エンデュランス馬術競技]]の騎手が効果的に用いる「[[インターバルトレーニング|インターバル・トレーニング]]」がすでに用いられていた。馬を[[厩舎]]につなぎ、湯で洗い、[[燕麦]]や[[大麦]]を少なくとも日に三回与えるという点では、キックリのやり方は現代の普通の馬の世話の仕方と変わらない。その一方で、キックリは、整理運動(ウォーム・ダウン)を行わせること<ref name="Nyland2009" />{{rp|119-130}}、さらに、駈歩のたびごとに馬の緊張をほぐすために休憩を入れ、進んだ訓練法として駈歩のインターバルに運動を行うことを推奨している<ref name="Nyland2009" />{{rp|40}}。これはこんにちインターバル・トレーニングとして知られているものと同様のものである。この方法は、1960年代ごろになって初めて馬スポーツの専門家により研究されたものである<ref name="Nyland2009" />{{rp|60}}。


また、キックリの体調管理プログラムは、訓練の継続、負荷のピークをシフトさせること、電解質置換理論、{{仮リンク|ファートレック|en|Fartlek}}・トレーニング、インターバルと反復といった、近代的なスポーツ理論に比定することができるような「スポーツ医学」を含んでおり、これにより筋繊維がじわじわと引き締まって均整のとれた馬体へと馬を導くことができる{{sfn|Nyland|2009|p=38}}。
また、キックリの体調管理プログラムは、訓練の継続、負荷のピークをシフトさせること、電解質置換理論、{{仮リンク|ファートレック|en|Fartlek}}・トレーニング、インターバルと反復といった、近代的なスポーツ理論に比定することができるような「スポーツ医学」を含んでおり、これにより筋繊維がじわじわと引き締まって均整のとれた馬体へと馬を導くことができる<ref name="Nyland2009" />{{rp|38}}。


==出典==
{{harvtxt|Nyland|2009}}は、1991年から1992年にかけてオーストラリアにて、複数の[[アラブ種]]の馬に対してキックリ文書に記載された七か月間のプログラムを適用し、キックリ文書の再現実験を試みた{{sfn|Nyland|2009|pp=1-144}}
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<ref name="Takahashi1999">{{cite journal|和書|author=高橋 幸一|title=F.シュタルケによるキックリ・テキストの馬術論的考察|date=1999|journal=スポーツ人類学研究|location=所沢|volume=1|pages=79-88|ISSN=13454358|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/santhropology1999/1999/1/1999_1_79/_article/references/-char/ja/|accessdate=2017-10-05}}</ref>
==脚注==
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==参考文献==
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* [[:de:Annelies Kammenhuber|Annelies Kammenhuber]]: ''Hippologia hethitica.'' Harrassowitz, Wiesbaden 1961.
*{{cite journal
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|title=The Kikkuli Method of Horse Training
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==関連文献==
*{{cite journal|和書
|author=高橋 幸一
|title=F.シュタルケによるキックリ・テキストの馬術論的考察
|year=1999
|journal=スポーツ人類学研究
|location=所沢
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2017年10月5日 (木) 07:27時点における版

キックリ文書が刻まれた2枚の粘土板

キックリ・テキストドイツ語: Kikkuli-Text, KUB I13I)[1]は、1906年にアナトリア半島ボアズキョイフーゴー・ヴィンクラーが発見した粘土板(タブレット)の一つである。4枚のタブレットからなる KUB I13I は楔形文字が刻まれており、後に解読されたところによると、キックリKikkuli)という人物が馬匹の給餌や調教について述べた文章であった。キックリは紀元前15世紀に生きたミタンニ出身のフルリ人である。またボアズキョイは、その後の研究で、ヒッタイト新王国の首都、ハットゥシャのあった場所であることがわかった。

言語学的知見

4枚のタブレットはそれぞれ別の書記により書かれている。紀元前15世紀に書かれたテキストを前13世紀に新ヒッタイト語へ翻訳したものであると考えられている[1]

ボアズキョイ出土のタブレット群はアッカド語を記述したものと同じ楔形文字で書かれているが、当初は読めず、1915年にベドジヒ・フロズニーにより印欧語族に属する言葉(ヒッタイト語)であることが明らかにされた[2]。キックリ・テキストもヒッタイト語で書かれたものであるが一部にフルリ語の古い表現が残り、しかもその表現には、ヒッタイト学者ドイツ語版アンネリース・カムメンフーバードイツ語版によると、文法上の誤りが散見されるという[3]。また、言語学者のマンフレッド・マイヤーホーファーによると、数詞や職名など一部の専門用語に、明らかにインド語派の古代語と共通性がある語彙が含まれるという[4]

キックリ・テキストは、「ミタンニ生まれの馬匹調教の達人キックリは語る」 (UM.MA Ki-ik-ku-li a-aš-šu-uš-ša-an-ni ŠA KUR URUMI-IT-TA-AN-NI)という文言で始まる[5]

テキストの内容

ヒッタイトの戦車

Nyland (2009)は、1991年から1992年にかけてオーストラリアにて、複数のアラブ種の馬に対してキックリ文書に記載された七か月間のプログラムを適用し、キックリ文書の再現実験を試みた[5]

キックリ・テキストが取り扱う内容は、馬の体調管理に限っており、育成については取り扱っていない[5]。ミタンニ人は馬の調教のやり方を広めることに貢献した民族だった。ヒッタイト人はキックリから馬の扱い方を教わった結果として、強力な戦車(チャリオット)の軍団をそろえることができ、現在のトルコ、シリア、レバノン及びイラク北部を含む大帝国を築き上げた[5]:11-17。しかしながら、キックリは、馬を戦車に繋いで行う訓練に費やす時間よりも長い時間を、速歩や駈歩をさせることに費やしている[5]:24-27

キックリが教える体調管理法においては、驚くべきことに、現代の総合馬術エンデュランス馬術競技の騎手が効果的に用いる「インターバル・トレーニング」がすでに用いられていた。馬を厩舎につなぎ、湯で洗い、燕麦大麦を少なくとも日に三回与えるという点では、キックリのやり方は現代の普通の馬の世話の仕方と変わらない。その一方で、キックリは、整理運動(ウォーム・ダウン)を行わせること[5]:119-130、さらに、駈歩のたびごとに馬の緊張をほぐすために休憩を入れ、進んだ訓練法として駈歩のインターバルに運動を行うことを推奨している[5]:40。これはこんにちインターバル・トレーニングとして知られているものと同様のものである。この方法は、1960年代ごろになって初めて馬スポーツの専門家により研究されたものである[5]:60

また、キックリの体調管理プログラムは、訓練の継続、負荷のピークをシフトさせること、電解質置換理論、ファートレック英語版・トレーニング、インターバルと反復といった、近代的なスポーツ理論に比定することができるような「スポーツ医学」を含んでおり、これにより筋繊維がじわじわと引き締まって均整のとれた馬体へと馬を導くことができる[5]:38

出典

  1. ^ a b 高橋 幸一「F.シュタルケによるキックリ・テキストの馬術論的考察」『スポーツ人類学研究』第1巻、1999年、79-88頁、ISSN 134543582017年10月5日閲覧 
  2. ^ Christian Falvey (2009年). “Bedřich Hrozný – re-discoverer of the Hittite language”. Radio Prague. 2017年10月5日閲覧。
  3. ^ Kammenhuber, Annelies (1961). Hippologia hethitica. Wiesbaden: Harrassowitz 
  4. ^ Mayrhofer, Manfred (1982). “Welches Material aus dem Indo-arischen von Mitanni verbleibt für eine selektive Darstellung?”. Investigationes philologicae et comparativae. Gedenkschrift für Heinz Kronasser. (Wiesbaden: Harrassowitz): 72–90. ISBN 3-447-02173-X. 
  5. ^ a b c d e f g h i Nyland, Ann (2009). The Kikkuli Method of Horse Training (Revised ed.). Sydney: Maryannu Press