高田友助
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高田 友助(たかた ともすけ、1882年(明治15年)8月10日[1] - 1961年(昭和36年)1月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴・人物
[編集]福岡県糸島市出身[1][2]。1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[1][3]。
1926年(大正15年)3月に陸軍歩兵大佐に昇級し、京都連隊区司令官に発令され、1928年(昭和3年)3月に歩兵第20連隊長、1929年(昭和4年)8月に陸軍省人事局恩賞課長を経て、1931年(昭和6年)8月に陸軍少将に進み、歩兵第29旅団長となる[1][4]。
ついで、1934年(昭和9年)3月に近衛歩兵第1旅団長を経て、1935年(昭和10年)8月1日に陸軍中将に進級と同時に待命、同月28日に予備役に編入した[1][4]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
親族
[編集]娘の娘は女優の馬渕晴子[要出典]
栄典
[編集]- 勲章等
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。