高山マリア

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高山 マリア
教会 カトリック教会
洗礼名 マリア
誕生日 不明
帰天日 不明
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高山 マリア(たかやま マリア、生没年不詳)は、戦国時代の女性。キリシタンキリシタン大名として知られた高山友照の正室で、高山右近の生母。

生涯[編集]

出自や名前については不明であるが、大和国沢城主である高山友照の正室となり、高山右近を始め友照との間に2男1女を出産する。夫である友照は1563年永禄6年)にキリスト教の教えに感銘を受け、沢城にて宣教師のガスパル・ヴィレラから受洗し、マリアもこのときに洗礼名を授かったとされる[1][2]

現在は大阪府豊能郡豊能町高山に「高山マリヤの墓」と呼ばれる4基の墓碑があり、2組のキリシタン夫婦の墓と伝わる。一説では高山マリヤの墓とされているが定かではない[1][3]

脚注[編集]

  1. ^ a b ユスト高山右近 - キリシタンゆかりの地をたずねて”. 女子パウロ会. 2023年8月22日閲覧。
  2. ^ 甲山堅『ザビエルコード I』(2012年、e-Bookland)
  3. ^ 高山マリアの墓”. じゃらん. 2023年8月22日閲覧。