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飛鳥衣縫樹葉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

飛鳥衣縫 樹葉(あすか の きぬぬい の このは、生没年不詳)は、飛鳥時代6世紀後半、崇峻天皇の代の豪族[1]

経歴・人物

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百済よりの渡来した新漢人(いまきのあやひと)である飛鳥衣縫部の伴造[2]東漢氏の配下にあった、飛鳥衣縫氏の祖である[2]。崇峻天皇元年(588年)に蘇我馬子が法興寺(のちの飛鳥寺)を造営する際、自らの宅地を寺地として提供した[2]。馬子はこの地を飛鳥の真神原、あるいは飛鳥の苫田となづけたという。

記録にはないが、飛鳥川弥勒石付近にあったとされる木葉堰も、彼が造ったものだと想定されている。その根拠は、木葉堰より引かれた水は上述の飛鳥の真神原を潤すものであり、最後は埴安池(はにやすのいけ)にたたえられたようなのである。斉明天皇のころの漏刻跡である石神遺跡なども、この水を利用したようである[3]

脚注

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  1. ^ 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『飛鳥衣縫樹葉』 - コトバンク
  2. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『飛鳥衣縫樹葉』 - コトバンク
  3. ^ 『別冊歴史読本 古代謎の王朝と天皇』、新人物往来社、1987年より「古代史人物事典」

参考文献

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