鐸木孝

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鐸木孝

鐸木 孝(すずき たかし、1900年2月20日 - 1967年11月4日)は昭和期歌人。本名は鈴木幸一。

経歴[編集]

茨城県農家に生まれる。1924年ころ歌人・森田麦の秋の影響で和歌をつくり始める。はじめは歌誌『心の花』に籍をおき作品を掲載されていたがその歌風にあきたらず、歌誌『日光』が創刊されると同時に参加。1926年1月に上京し北原白秋の門下生となる。1928年に白秋が世田ヶ谷町若林に転居してから1年間、与田凖一とともに居候している。『日光』が廃刊してから発表機関がなくなり、さらに神経衰弱となったために帰郷療養する[1]

1932年から白秋が歌誌『短歌民族』を出したのをきっかけに上京して筆耕事務員などの仕事のかたわら作歌を再開。1935年『多磨』の創刊に参加。その翌年、ミリオンレコード会社が設立され、その専属作詞家として招かれ、流行歌の歌詞30曲あまりを残す[1]

歌集[編集]

  • 『氷炎』(1942年、墨水書房。NCID BA60869694
  • 『香神』(1952年、長谷川書房)
  • 民謡集『影祭』(1955年、長谷川書房。全国書誌番号:55014019NCID BN11557121。)
  • 『秋霜品』(1956年、長谷川書房。全国書誌番号:56009727

脚注[編集]

  1. ^ a b 岡山巖・編『現代短歌全集 第六巻』創元文庫、1952年、130頁。