鍋島直興
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鍋島直興像(佐賀県立博物館蔵) | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 享保15年6月18日(1730年8月1日) |
死没 | 宝暦7年5月29日(1757年7月15日) |
別名 | 直之助(幼名)、直興 |
戒名 | 大慈院殿鉄船弘済 |
墓所 | 佐賀県佐賀市蓮池町西名の宗眼寺 |
官位 | 従五位下、朝散大夫、甲斐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 肥前蓮池藩主 |
氏族 | 鍋島氏 |
父母 | 父:鍋島直恒、母:犬塚常章の娘・無価院 |
兄弟 | 直興、鍋島喬良、妹(鍋島中務室)、牟田守尋、妹(諫早石見室)、妹(堀河康実室)、妹(犬塚常芳養女、犬塚某室)、妹(諫早石見養女)、直寛、妹(鍋島主馬室) |
妻 | 正室:なし |
子 | 実子:なし、養子:直寛 |
鍋島 直興(なべしま なおおき)は、肥前蓮池藩の第5代藩主。
生涯
[編集]享保15年(1730年)6月18日、第4代藩主・鍋島直恒の長男として蓮池館で生まれる。寛延2年(1749年)10月16日に父が死去したため、寛延3年(1750年)3月22日に家督を継いだ。直後の6月に起こった諫早一揆を鎮圧した。12月に従五位下・朝散大夫・甲斐守に叙位・任官する。
藩政では財政難のため、御用金の取立てをはじめ、百姓の他国への出稼ぎ禁止などを行なったが、宝暦3年(1753年)には勅使接待役などによる出費などに苦しめられている。宝暦7年(1757年)5月29日、蓮池で死去した。死因は水腫といわれる。享年28。実子が無かったため、異母弟で養子の直寛が跡を継いだ。
文人でもあり、著作に「苛斎集」がある。また善政を行なおうと努力したことなどから、蓮池藩の歴代藩主の中では名君と言われている。
系譜
[編集]父母
養子
- 鍋島直寛 ー 実弟