酒匂氏

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酒匂氏(さこうし)は、桓武平氏の流れをもつ鎌倉景正などを輩出した鎌倉氏より分かれ、さらに梶原景時景季などを輩出した梶原氏より分かれた一族。

概要[編集]

鎌倉時代島津氏薩摩下向に従って、本田氏猿渡氏鎌田氏などとともに薩摩に下向する。

本田氏とともに薩摩國守護代としての経歴をもつ。

なお、酒匂氏が鎌倉より薩摩に下向した頃にはすでに「さかわ」から「さこう」との読みに転じていたとの説がある。

現在は鹿児島県志布志市志布志町、姶良市蒲生町周辺を中心にその子孫が多く見られる。

神奈川県小田原市酒匂(さかわ)の地名があり、名前の由来とされている。

河野通古著『諸家大概』[1]の中で、酒匂氏は島津藩の諸士260家の冒頭に紹介されている。

脚注[編集]

  1. ^ 鹿児島大学図書館所蔵のものを底本として、1966年『鹿児島県史料集VI集』として発行されたもの。底本は墨付110丁(220ページ相当)との事。

関連項目[編集]