郭子興
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郭 子興(かく しこう、1302年 - 1355年)は、元末の群雄の一人。濠州定遠県の出身。富豪の父の郭公と瞽女の母のあいだの子として生まれ、彼は郭公の三男一女のうちの中子(真ん中の子)である。子は郭某(名は不詳)・郭天叙・郭天爵・郭恵妃ら。養女は明の馬皇后(孝慈高皇后)。
生涯
[編集]若くして、任侠を好み、多くの人物と交際があったという。
至正12年(1352年)、郭子興は数千人を集結し濠州地方で自立し、朱元璋の人物を見込んで重用し、その際に麾下の朱元璋を軍功ありとして十夫長に任用し、その養女の婿に迎えている。
郭子興は南下する元軍を撃退するなどの活躍をするが、その陣営内では幹部の孫徳崖・趙均用らによる内訌が絶えず、そのため勢力を大きく拡大することができなかった。
1355年に滁州で病没した。婿の朱元璋がその勢力を継承し、明の建国に大きな影響を与えた。
1370年に婿の朱元璋によって滁陽王を追贈されている。
郭子興の長男は戦死し、次男の郭天叙・三男の郭天爵は禍を恐れた朱元璋によって、謀殺されたといわれる。娘の郭恵妃は朱元璋の側室となり、蜀献王朱椿・代簡王朱桂・谷王朱橞らを産んだ。
伝記資料
[編集]- 『明史』巻一百二十二 列伝第十