道宝

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道寶(どうほう、建保2年(1214年) - 弘安4年8月7日1281年9月21日))は鎌倉時代真言宗左大臣九条良輔の子。母は律師玄季の娘。安祥寺殿を号し、福岡僧正と呼ばれた。

若くして勧修寺成宝のもとで出家慈尊院栄然灌頂を受ける[1]嘉禄3年(1227年)5月23日に一身阿闍梨に補任。安祥寺に住み良瑜の法をついだ[1]勧修寺長吏を経て、貞永元年(1232年)4月6日、法眼に叙せられ、嘉禎2年(1236年)3月19日に権大僧都に任ぜられた。嘉禎4年(1238年)5月28日には法印に叙せられ、文永5年(1268年)正月14日、権僧正となる。同年6月に法務に補され、文永10年(1273年)7月28日に祈雨に法験があって僧正に転じた。建治3年(1277年)正月12日、伊勢神宮に参籠して異国()の降伏を祈った[1][2]東寺長者後宇多天皇護持僧などを務める。建治4年(1278年)正月14日に大僧正となり、僧同年6月大安寺別当弘安4年(1281年)3月15日に東大寺別当を務めた。同年8月7日に68歳で入寂

脚注[編集]

  1. ^ a b c 本朝高僧伝』。
  2. ^ 続史愚抄建治3年正月14日条。

参考文献[編集]

  • 「大僧正道寶」『勧修寺長吏次第』
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年