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赤川景弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
赤川景弘
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 三郎右衛門(通称)、通盛
主君 織田氏
氏族 尾張赤川氏
坂井成利
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赤川 景弘(あかがわ かげひろ)は、戦国時代武将織田氏の家臣。

略歴

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太閤記』では矢島六人衆の1人とされているが不明。天文7月25日付けで、東脇・大瀬古の礼銭を指示した書状を発給しているが、これは佐久間信盛村井貞勝島田秀満との連名であることからして、高い地位の家臣であったと考えられる。

寛永諸家系図伝』には子として、坂井成利(下総守)の記載があるが、『太閤記』には岡田長門守家臣の赤川惣左衛門という人物が記載されており、坂井下総守弟と記載されている。