衣川閑斎
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衣川閑斎(きぬがわ かんさい、1769年 - 1847年11月2日)は、日本の儒学者。福山藩儒。福山藩校 弘道館館長[1]。名は吉蔵、字は廣皓、号は閑斎または白桃軒[2]。
経歴
[編集]1769年(明和6年)、備後国深津郡川口村(現在の福山市川口町)に生まれた。笠岡の医者、進藤養節の養子となる。
1786年(天明6年)、福山藩畳奉行の衣川治兵衛の養子となる。
1793年(寛政5年)、福山藩校弘道館掛になる。
1847年(弘化4年11月2日)、死去。福山の妙政寺に葬られる。
閑斎は文をよくしたが、漢詩に対しては否定的であった。福山藩領内の各地に招かれて孝道を講じた。[3]また、閑斎の養子は福山藩校誠之館教授の衣川作蔵(実父は福山藩士 沖与治兵衛武賈)である。