蜂須賀隆矩
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蜂須賀 隆矩(はちすか たかのり、1642年1月19日(寛永18年12月19日) - 1695年1月28日(元禄7年12月14日))は、徳島藩の藩主一門。
2代藩主蜂須賀忠英の四男。母は高田勝左衛門正治の娘。正室は紀州藩士・松平宣助の娘お七。子に第5代藩主蜂須賀綱矩(長男)。幼名は雅楽。初名は興龍。鎮辰、隆矩と改名した。通称は采女、式部、蔵人。号は唯月。
寛永19年(1642年)9月、家老蜂須賀山城玄寅(池田由英)の養子となる。万治元年(1658年)、家督相続する。寛文7年(1667年)2月、仕置家老となる。延宝2年(1674年)3月、病のために仕置家老を辞任する。延宝4年(1676年)正月、再び仕置家老となり禄高5000石、蔵人と名を改める。延宝6年(1678年)4月、家老を辞任、池田家を離籍し公族(藩主一門)となる。同年、嫡男の龍之(蜂須賀綱矩)が4代藩主綱通の養子として藩主となる。元禄7年12月14日没。享年54。