藤浪与兵衛

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藤浪 与兵衛(ふじなみ よへえ)は、歌舞伎小道具方の名跡。5代を数える。

初代[編集]

1829年11月24日文政12年10月28日) - 1906年明治39年)10月14日

武蔵国(現在の埼玉県)の農家に生まれ。江戸へ出て市村座に勤めるかたわら、歌舞伎俳優扇子を貸す商売を手始めに、1853年(嘉永6年)から同座の仕事を請け負った。維新後の1872年(明治5年)藤浪小道具を創業し、小道具商として独立する。

明治中期の写実劇流行の風潮に乗じて多くの小道具を新調し、地位を築いた。墓所は下谷嶺照院

2代[編集]

1865年3月2日元治2年2月5日) - 1921年大正10年)2月15日

初代の長男。本名は藤浪与三郎。

3代[編集]

1891年3月21日 - 1952年12月24日

2代の長男。本名は藤浪藤三郎。自殺した(結城素明『藝文家墓所誌 東京美術家墓所誌続篇』)

4代[編集]

1926年6月9日 - 1975年5月7日

本名・藤浪光夫(てるお)。東京浅草猿若町に生まれる。3代の長男。

1947年旧制第一早稲田高等学院卒、1953年東京大学経済学部卒。1954年、4代目を襲名。74年長谷川伸賞を受賞。

藤浪小道具株式会社代表取締役社長、日本演劇協会常任理事を務めた。

編著書に『小道具・藤浪与兵衛』(演劇出版社、1954年)、『芝居の小道具 創意と伝承』(日本放送出版協会、1974年)がある。

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