長町 (宮城県)
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(茂ヶ崎村から転送)
ながまち 長町 | |
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廃止日 | 1928年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 長町、原町 → 仙台市 |
現在の自治体 | 仙台市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 名取郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
6,756人 (国勢調査、1920年10月1日) |
隣接自治体 |
名取郡:西多賀村、中田村、六郷村 宮城郡:七北田村、七郷村 仙台市 |
長町役場 | |
所在地 | 宮城県名取郡長町 |
座標 | 北緯38度13分27.8秒 東経140度52分38.0秒 / 北緯38.224389度 東経140.877222度 |
ウィキプロジェクト |
長町(ながまち)は、宮城県名取郡にあった町。現在の仙台市太白区・青葉区の一部にあたる。
地理
[編集]名取郡の北端、広瀬川の南側に位置していた。かつての奥州街道の67番目の宿場である長町宿があった。
仙台市に編入される直前の長町の人口は約1万人で、町制施行時から約5割ほど増えていた[1]。仙台市が長町と原町を編入合併する構想は1918年(大正7年)からあったものの、名取郡役所が長町に設置されていたため、長町編入の構想は進まなかった。原町も同様である。郡制は1923年(大正12年)に廃止され、郡役所の監督がなくなった。これによって合併の交渉が進んだのだった[2]。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)- 根岸村及び平岡村が合併し、長町村が発足する。根岸村は北長町、平岡村は南長町と呼ばれていた[3]。
- 1878年(明治11年)10月21日 - 行政区画として名取郡が発足し、郡役所が長町村に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、長町村・郡山村が合併して茂ヶ崎村(もがさきむら)が発足。村名の由来は大年寺山の別名である茂ヶ崎山から取られている[3]。
- 1915年(大正4年)2月1日 - 茂ヶ崎村が町制施行・改称して長町となる。
- 1928年(昭和3年)4月1日 - 宮城郡原町と共に仙台市に編入される。
行政
[編集]- 歴代茂ヶ崎村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 大竹左右助 | 明治22年(1889年)4月1日 | ||
2 | 小倉義助 | 明治22年(1889年)12月6日 | ||
3 | 児玉実行 | 明治31年(1898年)8月15日 | ||
4 | 熊田権五郎 | 明治33年(1900年)2月17日 | ||
5 | 横浜慶昌 | 明治37年(1904年)8月 | ||
6 | 高橋十平 | 明治37年(1904年)12月29日 | ||
7 | 下田政 | 明治39年(1906年)8月25日 | ||
8 | 斎藤順三郎 | 明治43年(1910年)9月28日 | 大正4年(1915年)1月31日 |
- 歴代長町町長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 斎藤順三郎 | 大正4年(1915年)2月1日 | 村長より留任 | |
2 | 佐藤運七郎 | 大正9年(1920年)4月2日 | ||
3 | 鳥海彦太郎 | 大正10年(1921年)2月17日 | 昭和3年(1928年)3月31日 |
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ 『仙台市史』通史編7(近代2)291頁。
- ^ 『仙台市史』通史編7(近代2)25-26頁。
- ^ a b 菊地勝之助 1970, p. 164
参考文献
[編集]- 平成『仙台市史』資料編8〔近代現代4〕別冊資料(宮城県仙台市、2006)
- 菊地勝之助『宮城県地名考』宝文堂、1970年。doi:10.11501/9569219。