花野裕祥
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1974年7月24日(49歳) | |||
出身地 | 大阪府泉北郡 | |||
ラテン文字 | Hiroyoshi Hanano | |||
身長 | 178cm | |||
体重 | 78kg | |||
血液型 | A型 | |||
選手情報 | ||||
愛称 | ハナ | |||
ポジション | L | |||
指高 | 225cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 310cm | |||
ブロック | 290cm |
花野 裕祥(はなの ひろよし、1974年7月24日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。大阪府泉北郡出身。ポジションはリベロ。
来歴[編集]
小学校のころからスポーツ万能・勉学優秀だった。実姉の影響で、忠岡中学1年よりバレーボールを始める。忠岡中学校の黄金期のパイオニアとなる。(1年後輩大阪ベスト8・3年後輩大阪2位・4年後輩大阪2位・6年後輩大阪3位)中学時代の最高位は夏の大阪大会でベスト8。当時の監督・大谷忠は『私が携わったチームの中で一番まとまりがあり強かった』と振り返る。
姉は大阪南選抜に選ばれたが、本人は最終選考まで。高校へはスポーツ推薦ではなく自力で上宮高校英数コースに合格。上宮高校時代はアタッカーとして活躍しインターハイで準優勝した。その時のエースアタッカーだったのが高橋智則。
大学は筑波大学。こちらも自力で合格。
卒業後は富士フイルムへ入社し、リベロとして活躍。2002年の休部後、海外に活躍の場を求める。 サントリー時代の2005年、代表の正リベロでもあった津曲勝利からポジションを奪い、全日本代表に初選出された。 2009年、国内3チーム目となる豊田合成で現役生活を終えた。
2011年からは、大成女子高校バレーボール部の監督を務める[1]。
球歴[編集]
- 全日本代表 - 2005年
- ワールドリーグ - 2005年
所属チーム[編集]
- 忠岡中学校
- 上宮高等学校
- 筑波大学
- 富士フイルム・プラネッツ(-2002年)
- ノリコ・マザイク
- サントリーサンバーズ(2004-2006年)
- ノリコ・マザイク(2006-2007年)
- 豊田合成トレフェルサ(2007-2009年)
脚注[編集]
- ^ “バレーボールの元トップ選手が高校部活の監督としてコンディショニングを大切にする理由 |ONE TAP SPORTS(ワンタップスポーツ)”. ONE TAP SPORTS | スポーツ選手のコンディション管理ソフト. 2024年2月11日閲覧。
外部リンク[編集]
- 日本バレーボールリーグ機構の旧サイトにおけるプロフィール - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)