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舞靏千五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

舞靏 千五郎(まいづる せんごろう、生年不明 - 1816年8月27日文化13年8月5日〉)は、佐渡ヶ嶽部屋に所属した元力士[1]舞鶴 千五郎や最後の四股名でもある舞靏 勝之助(まいづる かつのすけ、舞鶴 勝之助との表記も)と表記する文献もある。

本名・身長・体重いずれも不明[1]江戸(現在の東京都区部)出身[1]

最高位は東前頭5枚目。

経歴に不明な点が多いが、1814年4月場所で初土俵を踏み、幕内格番付外として付出された[2]。しかし実力は全く無く、この場所1勝6敗3休と悲惨な成績に終わった。それでも二段目〈今の十両〉に陥落することなく、以後5場所幕内で相撲を取り続けた[1]。結局一度も勝ち越しを達成することが出来ないまま、1816年3月場所で3勝3敗2休の成績を収めた[3]のを最後に、1816年8月5日に現役中のまま死去した。初土俵(ただし記録上に残っているもののみ)から僅か2年余りの短い土俵生活だった。

幕内通算 5場所 10勝25敗3分1預9休の成績を残した。

改名歴は1回:舞鶴 千五郎 → 舞鶴 勝之助[1]

出典

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関連項目

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