織井青吾

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織井 青吾(おりい せいご、本名:浜井隆治、1931年昭和6年)- )は広島県出身のノンフィクション作家[1]

経歴[編集]

広島市に生まれる。広島高等師範附属中学(現:広島大学附属中学校・高等学校)3年生(14歳)のとき原爆に被災。同校を退学し、修道高等学校を卒業[2]早稲田大学を中退し、明治大学卒業。以後、シナリオ・詩・評論・小説・ルポルタージュなどを執筆。マツダ(東洋工業)秘書課の嘱託として勤務していたこともある[1]

代表作品[編集]

  • 『地図のない山―遠賀たんこんもん節』(光風社、1976年)
  • 『方城大非常』(朝日新聞社、1979年)
  • 『流民の果て―三菱方城炭坑』(大月書店、1980年)
  • 『謎の方城炭鉱大爆発』(国土社、1981年)
  • 『さよなら・先生』(ポプラ社、1982年)
  • 『いつか綿毛の帰り道』(筑摩書房、1987年)
  • 『落日の舞―郷土に殉じた戦国・悲運の武将』(木耳社、1990年)
  • 『最後の特派員:沖縄に散った新聞記者』(筑摩書房、1991年)
  • 『韓国のヒロシマ村・陜川』(社会評論社、2004年)
  • 『原子爆弾は語り続ける:ヒロシマ六〇年』(社会評論社、2005年)

脚注[編集]

  1. ^ a b 織井青吾 九州大学附属図書館スカラベ人名事典
  2. ^ 織井青吾「ゾッとする話」

関連項目[編集]