簡公 (召)
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簡公 | |
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召 | |
公 | |
王朝 | 召 |
在位期間 | ? - 紀元前513年 |
都城 | 召 |
姓・諱 | 姫盈 |
諡号 | 簡公 |
没年 | 紀元前513年 |
父 | 荘公 |
簡公(かんこう、? - 紀元前513年)は、春秋時代の召の君主。姫姓召氏。名は盈。荘公の子。
生涯
[編集]魯の昭公24年(紀元前518年)春正月辛丑、簡公と南宮嚚は甘の桓公を連れて王子朝を拝見した。昭公26年(紀元前516年)11月辛酉、晋軍が鞏を攻め落とした。簡公は王子朝を追放して、王子朝や召氏の族、毛の毛伯得・尹の文公・南宮嚚は周朝の典籍を持って楚へ亡命した。簡公は敬王側に付き、劉の文公や単の武公と盟を結んだ。昭公29年(紀元前513年)3月、洛邑の人が簡公を殺した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『春秋左氏伝』昭公
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