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簡公 (召)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
簡公
王朝
在位期間 ? - 紀元前513年
都城
姓・諱 姫盈
諡号 簡公
没年 紀元前513年
荘公

簡公(かんこう、? - 紀元前513年)は、春秋時代の君主。姫姓召氏。名は盈。荘公の子。

生涯

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昭公24年(紀元前518年)春正月辛丑、簡公と南宮嚚は桓公を連れて王子朝を拝見した。昭公26年(紀元前516年)11月辛酉軍が鞏を攻め落とした。簡公は王子朝を追放して、王子朝や召氏の族、毛伯得中国語版文公中国語版・南宮嚚は周朝の典籍を持ってへ亡命した。簡公は敬王側に付き、文公中国語版武公と盟を結んだ。昭公29年(紀元前513年)3月、洛邑の人が簡公を殺した。

脚注

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参考文献

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先代
荘公
の君主
? - 紀元前513年
次代
不明