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石垣仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石垣 仁
基本情報
本名 石垣 仁
階級 バンタム級
身長 167cm[1]
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1953-09-25) 1953年9月25日(71歳)
出身地 山形県飽海郡[2]
スタイルボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数 12
勝ち 10
KO勝ち 7
敗け 2
テンプレートを表示
獲得メダル
日本の旗 日本
男子 ボクシング
アジア大会
1974 テヘラン バンタム級

石垣 仁(いしがき ひとし、1953年9月25日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手、元プロボクサー1976年モントリオールオリンピックバンタム級日本代表[2]。第35代日本同級王者。プロ現役時代はヨネクラボクシングジム所属。

山形県飽海郡出身。酒田南高等学校専修大学卒業[2]

来歴

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1974年、テヘランで開催されたアジア大会バンタム級で優勝[2]。1974年から3年連続で全日本選手権同級に優勝を収めた[2]村田英次郎とは、アマチュア時代に3戦し、1976年モントリオールオリンピック出場権をかけた試合も含め、いずれも判定勝ちしている。

1976年、モントリオールオリンピックにバンタム級の日本代表として出場し、7月20日に行われた1回戦では2R0分36秒DQ(disqualify; 反則などによる失格)勝利を収めたが[1][3]、7月24日の2回戦でモントリオール・モスクワ2大会連続銅メダリストとなるヴィクトール・リバコフ英語版ソ連)と対戦し、0-5のポイント負けを喫した[1][3]。この後、プロへ転向した。

1978年3月7日、プロデビュー6回戦は判定勝利となり、その後、5試合連続KO勝利を収めた。1978年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会で新鋭賞に選出された[4]

1979年6月26日、日本バンタム級1位として同級の世界ランカー磯上修一(辰東)と対戦し、中盤までは打撃戦をリードしたが、7R、8Rとダウンを奪われ、9RにTKO負けを喫した[2]。この試合は1979年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会で年間好試合賞に選出された[4]

1980年1月28日、ハリケーン・テル(石川)の持つ日本バンタム級王座に挑戦し、判定勝利により同王座を獲得した。同年5月3日、山形県体育館で、ハリケーン照とリングネームを改めた前王者を迎えての初防衛戦に9RKO負けを喫し、王座を失った。この後3勝 (2KO) を収め、1981年4月19日の勝利試合を最後に現役を引退した。

戦績

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  • アマチュアボクシング:139戦121勝18敗[2]
  • プロボクシング:12戦10勝 (7KO) 2敗

獲得タイトル

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  • 第7回アジア大会バンタム級優勝
  • 第44回全日本選手権バンタム級優勝
  • 第45回全日本選手権バンタム級優勝
  • 第46回全日本選手権バンタム級優勝
  • 第35代日本バンタム級王座(防衛0)

参考文献

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  1. ^ a b c Hitoshi Ishigaki Biography and Olympic Results | Olympics at Sports-Reference.com[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. (英語) sports-reference.com.
  2. ^ a b c d e f g ボクシング・マガジン編集部編 『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』 ベースボール・マガジン社、2004年3月1日 ISBN 4-583-03784-8、216頁。
  3. ^ a b Olympic Games - Montreal, Canada - July 18-31 1976 (英語) amateur-boxing.strefa.pl.
  4. ^ a b 「DATA BOX 表彰選手、優勝・入賞者、代表選手一覧 - 年間表彰選手」『ワールド・ボクシング』4月号増刊、日本スポーツ出版社、2001年4月30日 共通雑誌コードT1109804040843 雑誌09804-4、126頁。

関連項目

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外部リンク

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前王者
ハリケーン・テル
第35代日本バンタム級王者

1980年1月28日 - 1980年5月3日

次王者
ハリケーン照