石垣仁
基本情報 | |
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本名 | 石垣 仁 |
階級 | バンタム級 |
身長 | 167cm[1] |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1953年9月25日(71歳) |
出身地 | 山形県飽海郡[2] |
スタイル | 右ボクサーファイター |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 12 |
勝ち | 10 |
KO勝ち | 7 |
敗け | 2 |
獲得メダル | ||
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日本 | ||
男子 ボクシング | ||
アジア大会 | ||
金 | 1974 テヘラン | バンタム級 |
石垣 仁(いしがき ひとし、1953年9月25日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手、元プロボクサー。1976年モントリオールオリンピックバンタム級日本代表[2]。第35代日本同級王者。プロ現役時代はヨネクラボクシングジム所属。
来歴
[編集]1974年、テヘランで開催されたアジア大会にバンタム級で優勝[2]。1974年から3年連続で全日本選手権同級に優勝を収めた[2]。村田英次郎とは、アマチュア時代に3戦し、1976年モントリオールオリンピック出場権をかけた試合も含め、いずれも判定勝ちしている。
1976年、モントリオールオリンピックにバンタム級の日本代表として出場し、7月20日に行われた1回戦では2R0分36秒DQ(disqualify; 反則などによる失格)勝利を収めたが[1][3]、7月24日の2回戦でモントリオール・モスクワ2大会連続銅メダリストとなるヴィクトール・リバコフ(ソ連)と対戦し、0-5のポイント負けを喫した[1][3]。この後、プロへ転向した。
1978年3月7日、プロデビュー6回戦は判定勝利となり、その後、5試合連続KO勝利を収めた。1978年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会で新鋭賞に選出された[4]。
1979年6月26日、日本バンタム級1位として同級の世界ランカー磯上修一(辰東)と対戦し、中盤までは打撃戦をリードしたが、7R、8Rとダウンを奪われ、9RにTKO負けを喫した[2]。この試合は1979年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会で年間好試合賞に選出された[4]。
1980年1月28日、ハリケーン・テル(石川)の持つ日本バンタム級王座に挑戦し、判定勝利により同王座を獲得した。同年5月3日、山形県体育館で、ハリケーン照とリングネームを改めた前王者を迎えての初防衛戦に9RKO負けを喫し、王座を失った。この後3勝 (2KO) を収め、1981年4月19日の勝利試合を最後に現役を引退した。
戦績
[編集]- アマチュアボクシング:139戦121勝18敗[2]
- プロボクシング:12戦10勝 (7KO) 2敗
獲得タイトル
[編集]- 第7回アジア大会バンタム級優勝
- 第44回全日本選手権バンタム級優勝
- 第45回全日本選手権バンタム級優勝
- 第46回全日本選手権バンタム級優勝
- 第35代日本バンタム級王座(防衛0)
参考文献
[編集]- ^ a b c Hitoshi Ishigaki Biography and Olympic Results | Olympics at Sports-Reference.com[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. sports-reference.com.
- ^ a b c d e f g ボクシング・マガジン編集部編 『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』 ベースボール・マガジン社、2004年3月1日 ISBN 4-583-03784-8、216頁。
- ^ a b Olympic Games - Montreal, Canada - July 18-31 1976 amateur-boxing.strefa.pl.
- ^ a b 「DATA BOX 表彰選手、優勝・入賞者、代表選手一覧 - 年間表彰選手」『ワールド・ボクシング』4月号増刊、日本スポーツ出版社、2001年4月30日 共通雑誌コードT1109804040843 雑誌09804-4、126頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 ハリケーン・テル |
第35代日本バンタム級王者 1980年1月28日 - 1980年5月3日 |
次王者 ハリケーン照 |