コンテンツにスキップ

申侯 (周幽王時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
申侯
王朝
在位期間 不明
生年 不明
没年 不明
不明

申侯(しんこう、生没年不詳)は、西周(現在の陝西省宝鶏市眉県)の申侯の乱を起こして西周を滅ぼした。

娘は周の幽王の王后の申后で、その子の宜臼は周の太子となった。しかし、幽王は寵后の褒姒を后として、その子の伯服中国語版を太子とした。宜臼は申に亡命し、申侯は中国語版や西方の犬戎とともに周を攻めた。幽王は犬戎により殺され、西周は滅亡した。幽王の死後、申侯や繒侯文公らは太子の宜臼を申で即位させた(平王)。都の鎬京は荒廃したため、洛邑に遷都した。

脚注

[編集]
申侯 (周幽王時代)

不明 - 不明

先代
申伯
申の侯
不明
次代
申公彭宇