幽王 (周)

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幽王
12王
王朝
在位期間 前781年 - 前771年
都城 鎬京
姓・諱 姫宮涅
生年 不詳
没年 前771年
宣王
※『史記』は諱を宮湦としている

幽王(ゆうおう)は、周朝の第12代の王。宣王の子。平王携王太子伯服らの父。西周最後の王である。

褒姒という女性を愛し、彼女の笑顔を見たさに王国を滅亡させ、自らも反乱に遇い命を失った。

故事[編集]

即位の三年後、幽王は褒の地より後宮に入った褒姒を見て寵愛するようになった。褒姒は笑うことがなく、幽王はなんとか彼女を笑わせようとした。を裂く音を聞き、彼女が微かに微笑んだことで、国中の絹を集めては引き裂かせたともいう。やがて褒姒は子の伯服を儲けるが、この年は関中で大地震が発生し、記録官の伯陽甫という者は、亡国の凶兆であると書き残した。

ある日、幽王は緊急時の合図の烽火を上げさせ、軍勢を集結させた。大あわてで駆けつけたが、何ごともないのに困惑しきった将兵を見て、褒姒ははじめて笑った。喜んだ王は以後しばしば無意味に烽火を上げさせ、何度も無駄足を踏まされた諸将は、いつか烽火で集まることがなくなった。また幽王は悪臣の虢石父を登用し、悪政を行わせたため、人民の怨嗟を買った。

幽王はついに正室であった申后及び太子宜臼を廃し、褒姒を后に、伯服を太子に立てた。申后の父である申侯は怒り、蛮族の犬戎軍と連合して反乱を起こす。都に迫る反乱軍に、幽王は烽火をあげて軍を集めようとしたが、すでに集まる兵はなかった。幽王と伯服は驪山の麓で殺され、褒姒は犬戎に連れ去られた。反乱軍は都を略奪して財宝をことごとく奪い去った。

幽王の死後、申侯は廃太子となっていた宜臼を平王として立てた。しかし兵乱により王都の鎬京は破壊されていたため、平王は東の雒邑(洛邑)へと遷都し、ここに西周は消滅して東周の時代が始まったのである。