田島利三郎

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田島 利三郎たじま りさぶろう
人物情報
生誕 (1869-07-02) 1869年7月2日
日本の旗 日本新潟県
死没 1931年????
国籍 日本の旗 日本
学問
研究分野 沖縄学
主な業績 おもろさうしの先駆的研究
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田島 利三郎(たじま りさぶろう、1869年(明治2年)7月2日- 1931年(昭和6年))は、新潟県出身の沖縄学者教師皇典講究所出身。

経歴[編集]

1893年から1897年に旧制沖縄中学校の国語教師をしながら、その間に宮古島で膨大な数の歌謡を採集し、『宮古島之歌 上』『宮古島之歌 下』を編んだ[1]

田島の研究は伊波普猷に引き継がれた[2]

人物[編集]

  • 180cmの巨漢で髭面であり、たちまち生徒を魅了したが、上層部とはそりが合わず、わずか2年で罷免された[2]

脚注[編集]

  1. ^ 宮古島の歌 / Songs of Miyako Island - 琉球・沖縄関係貴重資料デジタルアーカイブ”. 琉球・沖縄関係貴重資料デジタルアーカイブ. 2023年11月17日閲覧。
  2. ^ a b まれびとたちの沖縄 与那原恵著 ~沖縄との出会いが「ドラマ」を生み出す”. 東洋経済オンライン. 2023年11月17日閲覧。

外部リンク[編集]