王世弼

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王 世弼(おう せいひつ、生年不詳 - 520年)は、中国南北朝時代軍人官僚本貫京兆郡覇城県

経歴[編集]

草書隷書を得意とし、古典を愛好した。南朝斉に仕えて、軍功により游撃将軍の位を受け、軍主となった。寿春に駐屯し、裴叔業とともに北魏に帰順した。景明初年、冠軍将軍・南徐州刺史に任じられ、鍾離に駐屯し、慎県開国伯に封じられた。後に東徐州刺史に転じた。刑罰を濫用し、賄賂を受け取って、御史中尉の李平による弾劾を受けたが、赦免された。長らくして太中大夫の位を受け、征虜将軍の位を加えられた。まもなく河北郡太守として出向し、かつての悪評から一変して清廉な統治で知られた。勃海国の相に転じ、まもなく中山国の内史となり、平北将軍の位を加えられた。正光元年(520年)、在官のまま死去した。豫州刺史の位を追贈された。は康といった。

子女[編集]

  • 王会(汝陽郡太守)
  • 王由(は茂道、給事中・尚書郎・東萊郡太守、東魏の初年に元洪威の乱が起こると殺害された)

伝記資料[編集]