「ポンサルマーギーン・オチルバト」の版間の差分
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転機となるのは、[[1990年]][[3月15日]]に開催された[[モンゴル人民革命党]]第8回総会である。 |
転機となるのは、[[1990年]][[3月15日]]に開催された[[モンゴル人民革命党]][[中央委員会]]第8回総会である。 |
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総会では、[[ツェデンバル]]体制下で政治迫害を受けた人々に対する[[名誉]]回復と、[[ソ連]]滞在中のツェデンバル元[[第1書記]]の党籍剥奪を決定した。同時に、[[バトムンフ]]第1書記の辞任を承認し、オチルバトを第1書記に選出した。 |
総会では、[[ツェデンバル]]体制下で政治迫害を受けた人々に対する[[名誉]]回復と、[[ソ連]]滞在中のツェデンバル元[[第1書記]]の党籍剥奪を決定した。同時に、[[バトムンフ]]第1書記の辞任を承認し、オチルバトを第1書記に選出した。 |
2006年11月9日 (木) 11:25時点における版
ポンサルマーギーン・オチルバト(1942年-)は、モンゴル国の政治家。国民革命以降の、初代大統領。
ツェデンバル体制下では、あまりにも改革的であると批判されていた。そのため、1982年には、労働組合中央評議会議長を解任された。
転機となるのは、1990年3月15日に開催されたモンゴル人民革命党中央委員会第8回総会である。
総会では、ツェデンバル体制下で政治迫害を受けた人々に対する名誉回復と、ソ連滞在中のツェデンバル元第1書記の党籍剥奪を決定した。同時に、バトムンフ第1書記の辞任を承認し、オチルバトを第1書記に選出した。
同年開催された国民大会議で大統領に選出されたオチルバトは「資本主義化」という用語は避けながら、なし崩し的に社会主義を放棄した。
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