「洪川韓国兵士脳腫瘍死亡事件」の版間の差分

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'''洪川韓国兵士脳腫瘍死亡事件'''(ホンチョンかんこくへいしのうしゅようしぼうじけん)とは、[[2013年]][[6月17日]]に[[大韓民国]][[江原道 (南)|江原道]][[洪川郡]]にて、兵役中のA兵士(22)が激しい頭痛を訴えていたのにも関わらず、軍が適切な治療を行わず、脳腫瘍の発見が遅れ、症状が悪化して死亡した事件。同年代に発生した[[漣川後任兵暴行致死事件|漣川 一等兵いじめ殺人事件]]や[[江原道高城郡兵長銃乱射事件]]と共に、[[2010年代]]前半の兵役中の兵士による事件によって、兵役や軍隊の在り方が再考されていくことになった。
'''洪川韓国兵士脳腫瘍死亡事件'''(ホンチョンかんこくへいしのうしゅようしぼうじけん)とは、[[2013年]][[6月17日]]に[[大韓民国]][[江原道 (南)|江原道]][[洪川郡]]にて、兵役中のA兵士(22)が激しい頭痛を訴えていたのにも関わらず、軍が適切な治療を行わず、脳腫瘍の発見が遅れ、症状が悪化して死亡した事件。同年代に発生した[[漣川後任兵暴行致死事件]]や[[江原道高城郡兵長銃乱射事件]]と共に、[[2010年代]]前半の兵役中の兵士による事件によって、兵役や軍隊の在り方が再考されていくことになった。


== 経緯 ==
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2016年1月16日、2011年に[[論山市|論山]]訓練所にて髄膜炎で死亡したB訓練兵の母主導の下、[[ソウル特別市]][[西大門区]][[峴底洞]]に「軍被害治癒センター」が設立された<ref name=":2">{{Cite web|title=&quot;국방부 말 듣지 말라고 장례식 쫓아다닐 것&quot;|url=https://www.pressian.com/pages/articles/132590|website=www.pressian.com|date=2016-01-16|accessdate=2021-05-10|language=ko}}</ref>。開所式にはA兵士の母と姉、B訓練兵の母、[[漣川後任兵暴行致死事件|漣川 一等兵いじめ殺人事件]]の被害者 C一等兵の母、2015年4月の軍内性的暴行事件の被害者で当時治療中のD兵士とその父が参加した<ref name=":2" />。
2016年1月16日、2011年に[[論山市|論山]]訓練所にて髄膜炎で死亡したB訓練兵の母主導の下、[[ソウル特別市]][[西大門区]][[峴底洞]]に「軍被害治癒センター」が設立された<ref name=":2">{{Cite web|title=&quot;국방부 말 듣지 말라고 장례식 쫓아다닐 것&quot;|url=https://www.pressian.com/pages/articles/132590|website=www.pressian.com|date=2016-01-16|accessdate=2021-05-10|language=ko}}</ref>。開所式にはA兵士の母と姉、B訓練兵の母、[[漣川後任兵暴行致死事件|漣川 一等兵いじめ殺人事件]]の被害者 C一等兵の母、2015年4月の軍内性的暴行事件の被害者で当時治療中のD兵士とその父が参加した<ref name=":2" />。

== 関連項目 ==

* [[漣川後任兵暴行致死事件]] - 2014年に陸軍第28師団で発生したいじめ暴行殺人事件。死者1名。
* [[江原道高城郡兵長銃乱射事件]] - 2014年に陸軍第22師団で発生した銃乱射事件。死者5名。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2021年10月24日 (日) 20:35時点における版

洪川韓国兵士脳腫瘍死亡事件(ホンチョンかんこくへいしのうしゅようしぼうじけん)とは、2013年6月17日大韓民国江原道洪川郡にて、兵役中のA兵士(22)が激しい頭痛を訴えていたのにも関わらず、軍が適切な治療を行わず、脳腫瘍の発見が遅れ、症状が悪化して死亡した事件。同年代に発生した漣川後任兵暴行致死事件江原道高城郡兵長銃乱射事件と共に、2010年代前半の兵役中の兵士による事件によって、兵役や軍隊の在り方が再考されていくことになった。

経緯

2012年1月、A兵士(22)は兵役で軍隊に入隊[1]。その後、江原道洪川の部隊に配属された[1]

深刻な頭痛を訴えていたが、軍の誤診により、軍医は頭痛薬などを処方していた[1][2]。その間に病状は悪化していき、頭痛が悪化していたため、A兵士が病院に行く旨を中隊長に伝えた所、中隊長に悪口を言われたという[1]。A兵士は食事を摂れず、水を飲んでも吐いてしまう状態になっていた[1]。病状の深刻さを把握した軍関係者は、A兵士に診察のための2週間休暇を与えた[1][2]。2013年1月25日、A兵士は民間病院で診察を受け、脳腫瘍の診断を受けた[1][2]。A兵士はソウルの大病院で脳腫瘍除去手術を受け、国軍首都病院と一般病院を行き来しながら化学療法を受けたが[1][2]、軍から医療費が支給されず、家族が医療費を払っていた[1]。5月中旬から病状が急激に悪化し、仁川の病院の集中治療室で闘病していたが、肺炎を患い、意識不明の昏睡状態となり、6月17日午前5時30分頃に死亡[1][2]。後に脳腫瘍の発見が遅れたことが判明し[1][2]、同年2月に軍は世間から激しい批判を受けた[2]

A兵士には両親と姉がおり、A兵士が5歳の時に父は交通事故で障害を患い、家計が傾いた[1]。そのため母は工場員や電話相談員などの仕事をし、家計を支えており、A兵士は母を助けるために肉体労働などの仕事を行なっていた[1]

2016年1月16日、2011年に論山訓練所にて髄膜炎で死亡したB訓練兵の母主導の下、ソウル特別市西大門区峴底洞に「軍被害治癒センター」が設立された[3]。開所式にはA兵士の母と姉、B訓練兵の母、漣川 一等兵いじめ殺人事件の被害者 C一等兵の母、2015年4月の軍内性的暴行事件の被害者で当時治療中のD兵士とその父が参加した[3]

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 뇌종양 사병에 두통약 준 軍… 생때같은 막둥이가 죽었다”. 동아닷컴. 20210511閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 현역사병의 뇌종양 사망에 대한 진실 - 데일리메디팜” (朝鮮語). www.dailymedipharm.com. 2021年5月10日閲覧。
  3. ^ a b "국방부 말 듣지 말라고 장례식 쫓아다닐 것"” (朝鮮語). www.pressian.com (2016年1月16日). 2021年5月10日閲覧。