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== 歴史 ==
== 歴史 ==
地名の由来は、浜辺近くに豪族の居館があったことにちなむという。元和2年に千葉左京之介平恒友が開拓に着手して成立。枝村として中浜館村(小柳村)、下浜館村(造道村)が成立したことから、[[上浜館村]]とも言う。古くから水田耕作中心の地域であった。[[1968年]](昭和43年)にもとの大字浜館の北部(現南佃、小柳の南端部)を[[東北本線]](現[[青い森鉄道線]])が移転してきた後、この鉄道の北側のもと浜館字見取(現[[南佃]]二丁目)に県営住宅が置かれ、周囲も宅地化したものの、線路から南については平成初めまで水田が地区のほとんどを占めていた。平成に入ってから区画整理が行われてから、住宅地・[[商業地]]へと大きく変貌した。
地名の由来は、浜辺近くに豪族の居館があったことにちなむという。元和2年に千葉左京之介平恒友が開拓に着手して成立。枝村として中浜館村(小柳村)、下浜館村(造道村)が成立したことから、[[上浜館村]]とも言う。古くから水田耕作中心の地域であった。[[1968年]](昭和43年)にもとの大字浜館の北部(現南佃、小柳の南端部)を[[東北本線]](現[[青い森鉄道線]])が移転してきた後、この鉄道の北側のもと浜館字見取(現[[南佃]]二丁目)に県営住宅が置かれ、周囲も宅地化した<ref>この項目、以上『角川日本地名大辞典 2 青森県』(1985年 角川日本地名大辞典編纂委員会 編)</ref>ものの、線路から南については平成初めまで水田が地区のほとんどを占めていた。平成に入ってから区画整理が行われてから、住宅地・[[商業地]]へと大きく変貌した。


== 交通 ==
== 交通 ==

2021年7月10日 (土) 13:34時点における版

日本 > 青森県 > 青森市 > 浜館

浜館(はまだて)は、青森県青森市にある地名。現行行政地名は1丁目から6丁目。他に大字浜舘がある。郵便番号は030-0947。

地理

浜館は、青森市の東部に位置する。おおむね郊外の住宅地であるが、幹線道路沿いには郊外型の大きな駐車場を備えた商店が多い。

浜館一丁目~六丁目は、北西端が一丁目、ここから東に向かって4丁目まで続き、この町の南部を東西に走る幹線道路(ひまわり通り)をはさみ、4丁目の南が5丁目、その西が6丁目となっている。浜館1~6丁目は、東が大字浜館、虹ヶ丘、北が大字浜舘、大字田屋敷、大字古館、西が古館1丁目、南が大字浜館、大字古館に接する。

大字浜館は、小字に科(しな)、間瀬、見取がある。幹線道路沿いには商店等がみかけられるが、一部に農地もある。大字浜館は、浜館3~5丁目と虹ヶ丘をはさみ、南北に分かれている。北部は大半が青森県立看護大学の敷地で占められる。東は大字小柳、南が虹ヶ丘、西が田屋敷と虹ヶ丘、北は南佃と接する。南部は東が大字戸山、北が浜館五丁目と虹ヶ丘、西が大字田屋敷と大字駒込、南が大字戸山と大字駒込と接する。

歴史

地名の由来は、浜辺近くに豪族の居館があったことにちなむという。元和2年に千葉左京之介平恒友が開拓に着手して成立。枝村として中浜館村(小柳村)、下浜館村(造道村)が成立したことから、上浜館村とも言う。古くから水田耕作中心の地域であった。1968年(昭和43年)にもとの大字浜館の北部(現南佃、小柳の南端部)を東北本線(現青い森鉄道線)が移転してきた後、この鉄道の北側のもと浜館字見取(現南佃二丁目)に県営住宅が置かれ、周囲も宅地化した[1]ものの、線路から南については平成初めまで水田が地区のほとんどを占めていた。平成に入ってから区画整理が行われてから、住宅地・商業地へと大きく変貌した。

交通

鉄道

バス

  • 青森市営バス戸山団地線(浜館経由)- H21(戸山団地方面行き) ・B1(青森駅方面行き)

道路

施設

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 2 青森県(1985年 角川日本地名大辞典編纂委員会 編)
  1. ^ この項目、以上『角川日本地名大辞典 2 青森県』(1985年 角川日本地名大辞典編纂委員会 編)