「由良貞房」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
3行目: | 3行目: | ||
[[寛永]]11年([[1634年]])将軍[[徳川家光]]に御目見する。寛永16年([[1639年]])7月23日父貞房の死去により、家督を相続する。寛永20年([[1640年]])6月16日書院番に加えられる。[[寛文]]元年([[1661年]])9月3日内裏造営のために京都に赴く。寛文5年([[1665年]])9月8日高家職に就き、11月16日従五位下侍従・信濃守に叙任する。以後、由良家は高家旗本に列することになった。延宝2年(1674年)1月4日死去、49歳。 |
[[寛永]]11年([[1634年]])将軍[[徳川家光]]に御目見する。寛永16年([[1639年]])7月23日父貞房の死去により、家督を相続する。寛永20年([[1640年]])6月16日書院番に加えられる。[[寛文]]元年([[1661年]])9月3日内裏造営のために京都に赴く。寛文5年([[1665年]])9月8日高家職に就き、11月16日従五位下侍従・信濃守に叙任する。以後、由良家は高家旗本に列することになった。延宝2年(1674年)1月4日死去、49歳。 |
||
正妻は[[朽木友綱]]の娘。長男 |
正妻は[[朽木友綱]]の娘。長男頼繁、次男[[横瀬貞顕]]、五男[[横瀬貞寛]]ら五男一女あり。 |
||
{{先代次代|[[横瀬氏|高家由良家4代当主]]|1639~1674|[[由良忠繁]]|[[由良頼繁]]}} |
|||
{{生没年|ゆらさたふさ|1626年|1674年}} |
{{生没年|ゆらさたふさ|1626年|1674年}} |
2006年10月23日 (月) 03:18時点における版
由良 貞房(ゆら さだふさ、寛永3年(1626年) - 延宝2年1月4日(1674年2月9日))は、江戸時代の高家旗本。由良忠繁の長男。生母は近藤氏。別名は親繁。通称は天麻呂、新六郎。官位は従五位下侍従・信濃守。
寛永11年(1634年)将軍徳川家光に御目見する。寛永16年(1639年)7月23日父貞房の死去により、家督を相続する。寛永20年(1640年)6月16日書院番に加えられる。寛文元年(1661年)9月3日内裏造営のために京都に赴く。寛文5年(1665年)9月8日高家職に就き、11月16日従五位下侍従・信濃守に叙任する。以後、由良家は高家旗本に列することになった。延宝2年(1674年)1月4日死去、49歳。
正妻は朽木友綱の娘。長男頼繁、次男横瀬貞顕、五男横瀬貞寛ら五男一女あり。
|
|
|