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アラン伯爵 oldid=81140389 より分割。著者一覧: Omaemona1982, 610CH-405, HMS Barham, 122.197.99.193, Cewbot, Xx kyousuke xx, SpaceMeteor, ネイ
 
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ついで第2代ハミルトン卿[[ジェイムズ・ハミルトン (初代アラン伯爵)|ジェイムズ・ハミルトン]]{{small|(1475頃–1529)}}が[[1503年]][[8月11日]]に叙されたのが第2期のスコットランド貴族'''アラン伯爵'''位である。第2期のアラン伯爵位については[[ハミルトン公爵]]を参照のこと。最終的には第2代[[ハミルトン公爵]]・第6代アラン伯爵[[ウィリアム・ハミルトン (第2代ハミルトン公爵)|ウィリアム・ハミルトン]]{{small|(1616–1651)}}の死去をもってアラン伯爵位は[[停止 (爵位)#爵位の休止|休止]](dormant)になっている<ref name="CP EA">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/arran1503.htm|title=Arran, Earl of (S, 1503 - dormant 1651)|accessdate= 2019-9-17 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。
ついで第2代ハミルトン卿[[ジェイムズ・ハミルトン (初代アラン伯爵)|ジェイムズ・ハミルトン]]{{small|(1475頃–1529)}}が[[1503年]][[8月11日]]に叙されたのが第2期のスコットランド貴族'''アラン伯爵'''位である。第2期のアラン伯爵位については[[ハミルトン公爵]]を参照のこと。最終的には第2代[[ハミルトン公爵]]・第6代アラン伯爵[[ウィリアム・ハミルトン (第2代ハミルトン公爵)|ウィリアム・ハミルトン]]{{small|(1616–1651)}}の死去をもってアラン伯爵位は[[停止 (爵位)#爵位の休止|休止]](dormant)になっている<ref name="CP EA">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/arran1503.htm|title=Arran, Earl of (S, 1503 - dormant 1651)|accessdate= 2019-9-17 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。

なお、第2期の第3代アラン伯爵{{仮リンク|ジェイムズ・ハミルトン (第3代アラン伯爵)|label=ジェイムズ・ハミルトン|en|James Hamilton, 3rd Earl of Arran}}が[[1581年]]に精神に異常をきたしたのに乗じて、{{仮リンク|ジェイムズ・ステュアート (アラン伯)|en|James Stewart, Earl of Arran|label=ジェイムズ・ステュアート}}が初代アラン伯爵[[ジェイムズ・ハミルトン (初代アラン伯爵)|ジェイムズ・ハミルトン]]の子孫であることを口実に自らアラン伯爵に叙した。しかしハミルトン家の巻き返しで[[1585年]]に失脚、爵位も元の第3代アラン伯に返上させられ一代で終わった{{sfn|松村赳|富田虎男|2000|p=35}}。


== 歴代当主 ==
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== 参考文献 ==
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* {{Cite book|和書|author=森護|authorlink=森護|year=1988|title=スコットランド王国史話|publisher=[[大修館書店]]|isbn=978-4469242560|ref=harv}}
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* [[松村赳]]・[[富田虎男]]編『英米史辞典』[[研究社]]、2000年。


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2021年3月6日 (土) 14:09時点における版

アラン伯爵(アランはくしゃく、Earl of Arran)は、スコットランド貴族伯爵位であり、2回創設されている。爵位名はアラン島に由来する。

歴史

幼いスコットランド王国国王ジェームズ3世に代わって宮内長官英語版としてスコットランド国政を壟断した初代ボイド卿英語版ロバート・ボイド英語版(生年不詳-1482頃)の息子であり、ジェームズ2世の王女メアリー英語版と結婚したトマス・ボイド英語版(生年不詳-1472頃)1467年スコットランド貴族爵位アラン伯爵に叙されたのが最初のアラン伯爵位の創設である。しかし1469年7月の結婚を期にジェームズ3世は強力な親政を狙うようになり、ボイド一派の追放を決意した。ジェームズ3世の決意を察したボイド親子はイングランド王国へ亡命した(弟のアレクサンダーのみ捕らえられて処刑されている)[1]。そのため第1期のアラン伯爵位は彼一代で終わった。

ついで第2代ハミルトン卿ジェイムズ・ハミルトン(1475頃–1529)1503年8月11日に叙されたのが第2期のスコットランド貴族アラン伯爵位である。第2期のアラン伯爵位についてはハミルトン公爵を参照のこと。最終的には第2代ハミルトン公爵・第6代アラン伯爵ウィリアム・ハミルトン(1616–1651)の死去をもってアラン伯爵位は休止(dormant)になっている[2]

なお、第2期の第3代アラン伯爵ジェイムズ・ハミルトン英語版1581年に精神に異常をきたしたのに乗じて、ジェイムズ・ステュアート英語版が初代アラン伯爵ジェイムズ・ハミルトンの子孫であることを口実に自らアラン伯爵に叙した。しかしハミルトン家の巻き返しで1585年に失脚、爵位も元の第3代アラン伯に返上させられ一代で終わった[3]

歴代当主

アラン伯爵 第1期 (1467年)

アラン伯爵 第2期 (1503年)

脚注

参考文献

  • 森護『スコットランド王国史話』大修館書店、1988年。ISBN 978-4469242560 
  • 松村赳富田虎男編『英米史辞典』研究社、2000年。