「ルイジアナ買収」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
編集の要約なし
1行目: 1行目:
{{複数の問題|独自研究=2015年10月4日 (日) 01:08 (UTC)|出典の明記=2015年10月4日 (日) 01:08 (UTC)}}[[Image:LouisianaPurchase.png|right|300px|thumb|ルイジアナ買収の対象地域(緑) 地図と州区分は21世紀のもの]]
{{複数の問題|独自研究=2015年10月4日 (日) 01:08 (UTC)|出典の明記=2015年10月4日 (日) 01:08 (UTC)}}[[Image:LouisianaPurchase.png|right|300px|thumb|ルイジアナ買収の対象地域(緑) 地図と州区分は21世紀のもの]]
'''ルイジアナ買収'''(ルイジアナばいしゅう、{{en|Louisiana Purchase}})、または'''ルイジアナ売却'''(ルイジアナばいきゃく、{{fr|Vente de la Louisiane}})は、[[1803年]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]が[[フランス]]から210万[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]を超える領地を1500万ドル(現金1125万ドル + 当時の借入金375万ドルを帳消し)で買収した出来事である。
'''ルイジアナ買収'''(ルイジアナばいしゅう、{{en|Louisiana Purchase}})、または'''ルイジアナ売却'''(ルイジアナばいきゃく、{{fr|Vente de la Louisiane}})は、[[1803年]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]が[[フランス]]から210万平方キロメートルを超える領地を1500万ドル(現金1125万ドル当時の借入金375万ドルを帳消しした。)で買収した出来事である。


資金は[[オランダ]]の[[ホープ商会]]と[[イギリス]]の[[ベアリング家]]が[[ファイナンス]]している。つまり[[米国債]]で支払われたため、両家が割り引いて[[現金]]化した。両家とフランスの関係は[[ナポレオン戦争]]終結後も続き、[[1817年]]に両家は年利8.13%から9.52%でフランス[[国債]]を引き受けている。
資金は[[オランダ]]の[[ホープ商会]]と[[イギリス]]の[[ベアリング家]]が[[ファイナンス]]している。つまりアメリカ国債で支払われたため、両家が割り引いて現金化した。両家とフランスの関係は[[ナポレオン戦争]]終結後も続き、[[1817年]]に両家は年利8.13パーセントから9.52パーセントでフランス国債を引き受けている。


== 概要 ==
== 概要 ==
当時の「[[フランス領ルイジアナ|仏領ルイジアナ]]」は主に[[ミシシッピ川]]流域の広大な領地で、現在の[[アイオワ州|アイオワ]][[アーカンソー州|アーカンソー]][[オクラホマ州|オクラホマ]][[カンザス州|カンザス]][[コロラド州|コロラド]][[サウスダコタ州|サウスダコタ]][[テキサス州|テキサス]][[ニューメキシコ州|ニューメキシコ]][[ネブラスカ州|ネブラスカ]][[ノースダコタ州|ノースダコタ]][[ミズーリ州|ミズーリ]][[ミネソタ州|ミネソタ]][[モンタナ州|モンタナ]][[ルイジアナ州|ルイジアナ]][[ワイオミング州|ワイオミング]]の15州にまたがる。
当時の「[[フランス領ルイジアナ]]」は主に[[ミシシッピ川]]流域の広大な領地で、現在の[[アイオワ州|アイオワ]][[アーカンソー州|アーカンソー]][[オクラホマ州|オクラホマ]][[カンザス州|カンザス]][[コロラド州|コロラド]][[サウスダコタ州|サウスダコタ]][[テキサス州|テキサス]][[ニューメキシコ州|ニューメキシコ]][[ネブラスカ州|ネブラスカ]][[ノースダコタ州|ノースダコタ]][[ミズーリ州|ミズーリ]][[ミネソタ州|ミネソタ]][[モンタナ州|モンタナ]][[ルイジアナ州|ルイジアナ]][[ワイオミング州|ワイオミング]]の15州にまたがる。


アメリカ第3代大統領[[トーマス・ジェファーソン]]は、当初は領[[ニューオーリンズ]]を領有したいと考えていた。ニューオーリンズはミシシッピ川の河口に位置し、物流の拠点として重要な街となっていた。
3代目アメリカ合衆国大統領[[トーマス・ジェファーソン]]は、当初はフランス領[[ニューオーリンズ]]を領有したいと考えていた。ニューオーリンズはミシシッピ川の河口に位置し、物流の拠点として重要な街となっていた。


ジェファーソンは1802年に特使を[[パリ]]に派遣し、ニューオーリンズ買収を提案した。当時フランスは[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の執政下にあり、イギリスとは敵対していた。イギリスが[[カナダ]]からルイジアナに侵攻した場合、これを防衛することはそもそも無理と結論したナポレオンは、むしろこれを売却してこれで得た利益を大陸での戦費にて、さらにアメリカの[[ヨーロッパ]]政策をフランス寄りにすることができることも期待して、ルイジアナを破格の1500万ドルでアメリカに売却することを決定した。
ジェファーソンは1802年に特使を[[パリ]]に派遣し、ニューオーリンズ買収を提案した。当時フランスは[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の執政下にあり、イギリスとは敵対していた。イギリスが[[カナダ]]からルイジアナに侵攻した場合、これを防衛することはそもそも無理と結論したナポレオンは、むしろこれを売却してこれで得た利益を大陸での戦費にて、さらにアメリカの[[ヨーロッパ]]政策をフランス寄りにすることができることも期待して、ルイジアナを破格の1500万ドルでアメリカに売却することを決定した。


これをけて[[1803年]][[4月30日]]売却に関する条約が交わされた。アメリカ合衆国の領土はこれにより、この当時で2倍になった(現在でも全領土の23%に相当する)。
これをけて[[1803年]][[4月30日]]売却に関する条約が交わされた。アメリカ合衆国の領土はこれにより、この当時で2倍になった(現在でも全領土の23パーセントに相当する)。


== ルイジアナ買収200周年 ==
== ルイジアナ買収200周年 ==
[[2003年]]ルイジアナの買収から200周年を迎え、これに合わせて様々な記念行事が行われた。しかし、[[ジャック・シラク]][[共和国大統領 (フランス)|大統領]]と[[ジョージ・W・ブッシュ]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は[[イラク戦争]]をめぐって対立していたため、両者は参加しなかった。
[[2003年]]ルイジアナの買収から200周年を迎え、これに合わせて様々な記念行事が行われた。しかし、フランスの[[ジャック・シラク]][[共和国大統領 (フランス)|大統領]]とアメリカの[[ジョージ・W・ブッシュ]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は[[イラク戦争]]をめぐって対立していたため、両者は参加しなかった。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2020年10月16日 (金) 13:38時点における版

ルイジアナ買収の対象地域(緑) 地図と州区分は21世紀のもの

ルイジアナ買収(ルイジアナばいしゅう、Louisiana Purchase)、またはルイジアナ売却(ルイジアナばいきゃく、Vente de la Louisiane)は、1803年アメリカフランスから210万平方キロメートルを超える領地を1500万ドル(現金1125万ドルと当時の借入金375万ドルを帳消しした。)で買収した出来事である。

資金はオランダホープ商会イギリスベアリング家ファイナンスしている。つまりアメリカ国債で支払われたため、両家が割り引いて現金化した。両家とフランスの関係はナポレオン戦争終結後も続き、1817年に両家は年利8.13パーセントから9.52パーセントでフランス国債を引き受けている。

概要

当時の「フランス領ルイジアナ」は主にミシシッピ川流域の広大な領地で、現在のアイオワアーカンソーオクラホマカンザスコロラドサウスダコタテキサスニューメキシコネブラスカノースダコタミズーリミネソタモンタナルイジアナワイオミングの15州にまたがる。

3代目アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソンは、当初はフランス領ニューオーリンズを領有したいと考えていた。ニューオーリンズはミシシッピ川の河口に位置し、物流の拠点として重要な街となっていた。

ジェファーソンは1802年に特使をパリに派遣し、ニューオーリンズ買収を提案した。当時フランスはナポレオンの執政下にあり、イギリスとは敵対していた。イギリスがカナダからルイジアナに侵攻した場合、これを防衛することはそもそも無理と結論したナポレオンは、むしろこれを売却してこれで得た利益を大陸での戦費に当て、さらにアメリカのヨーロッパ政策をフランス寄りにすることができることも期待して、ルイジアナを破格の1500万ドルでアメリカに売却することを決定した。

これを受けて1803年4月30日に売却に関する条約が交わされた。アメリカ合衆国の領土はこれにより、この当時で2倍になった(現在でも全領土の23パーセントに相当する)。

ルイジアナ買収200周年

2003年にルイジアナの買収から200周年を迎え、これに合わせて様々な記念行事が行われた。しかし、フランスのジャック・シラク大統領とアメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領イラク戦争をめぐって対立していたため、両者は参加しなかった。

関連項目

外部リンク