「徐葆光」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
NyokiBot (会話 | 投稿記録)
m カテゴリの変更 BOTREQによる
元号年の誤り。換算西暦は辞書の記載に拠った。
1行目: 1行目:
'''徐 葆光'''(じょ ほこう、[[1671年]] - [[1723年]])、[[字]]は亮直、[[号]]は澄斎。[[清]]の[[官僚]]。[[漢詩]]・[[書道|書]]に堪能で、自ら二友老人と号した。
'''徐 葆光'''(じょ ほこう、[[1671年]] - [[1723年]])、[[字]]は亮直、[[号]]は澄斎。[[清]]の[[官僚]]。[[漢詩]]・[[書道|書]]に堪能で、自ら二友老人と号した。


[[康熙]]10年(1671年)、[[江蘇省]]長洲県(現・[[蘇州市]])に生まれる。康熙51年([[1712年]])に一甲第三名[[進士]]として[[科挙]]に登第し、[[翰林院]]編修となる。康熙51(1720年)、[[琉球王国]]に冊封副使として赴き、[[尚敬王]]を冊封した。帰国後に、約8ヶ月間の滞在記録を『[[中山伝信録]]』としてまとめた。[[雍正]]元年(1723年)没。
[[康熙]]10年(1671年)、[[江蘇省]]長洲県(現・[[蘇州市]])に生まれる。康熙51年([[1712年]])に一甲第三名[[進士]]として[[科挙]]に登第し、[[翰林院]]編修となる。康熙58(1719年)、[[琉球王国]]に冊封副使として赴き、[[尚敬王]]を冊封した。帰国後に、約8ヶ月間の滞在記録を『[[中山伝信録]]』としてまとめた。[[雍正]]元年(1723年)没。


==著作==
==著作==

2020年9月30日 (水) 03:00時点における版

徐 葆光(じょ ほこう、1671年 - 1723年)、は亮直、は澄斎。官僚漢詩に堪能で、自ら二友老人と号した。

康熙10年(1671年)、江蘇省長洲県(現・蘇州市)に生まれる。康熙51年(1712年)に一甲第三名進士として科挙に登第し、翰林院編修となる。康熙58年(1719年)、琉球王国に冊封副使として赴き、尚敬王を冊封した。帰国後に、約8ヶ月間の滞在記録を『中山伝信録』としてまとめた。雍正元年(1723年)没。

著作

  • 中山伝信録
  • 『二友斎文集』
  • 『二友斎詩集』
  • 『海舶集』
  • 『奉使琉球詩』

参考文献