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戦前、上京して[[石油]]ビジネスに関与、戦後は、石油混合加工品の製造・卸売販売を目的として、石油製品の2次製品である[[潤滑油]]メーカー[[日興産業]]を[[1946年]]に設立。 |
戦前、上京して[[石油]]ビジネスに関与、戦後は、石油混合加工品の製造・卸売販売を目的として、石油製品の2次製品である[[潤滑油]]のメーカー[[日興産業]]を[[1946年]]に設立。 |
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== ゴルフ場の設計/経営 == |
== ゴルフ場の設計/経営 == |
2006年9月22日 (金) 07:47時点における版
相山 武夫(あいやま たけお、1915年3月7日~2000年3月6日)は日本の事業家、ゴルフ場の設計者。
経歴
富山県中新川郡水橋町(現富山市水橋町)で回船問屋(海産物商)の8男として生まれた。 戦前、上京して石油ビジネスに関与、戦後は、石油混合加工品の製造・卸売販売を目的として、石油製品の2次製品である潤滑油のメーカー日興産業を1946年に設立。
ゴルフ場の設計/経営
1953年、日興産業の潤滑油工場施設の近隣に18ホールの河川敷ゴルフ場「六郷ゴルフ倶楽部」(現ゴルフ練習場)を設計・造成、株式会社六郷ゴルフ倶楽部を設立、代表取締役就任を契機に、石油ビジネス以外に、ゴルフ場設計者、事業家としての道をも歩む。1958年、株式会社 横浜国際ゴルフ倶楽部を設立し横浜カントリークラブの経営に携わった後、阿波総合開発株式会社を設立して徳島カントリークラブの経営にも携わる。1966年には、自らの名前を冠した相武総合開発株式会社を設立(同社は、2003年民事再生法が適用された)。 設計・監修に携わったコースは全国30コース近くに及ぶ。 設計した代表的なゴルフ場としては、横浜カントリークラブ(神奈川県横浜市)がある。
設計/監修/改修した主なゴルフ場
- 1953年 六郷ゴルフ倶楽部(東京都)
- 1958年 横浜カントリークラブ(神奈川県)
- 1959年 枚方国際ゴルフ倶楽部(大阪府)
- 1960年 呉羽カントリークラブ(富山県)
- 1961年 富士国際ゴルフ倶楽部(静岡県)
- 1961年 宇都宮カンツリー倶楽部(栃木県)
- 1963年 相武カントリー倶楽部(東京都)
- 1966年 水戸ゴルフクラブ(茨城県)
- 1969年 塩原カントリークラブ(栃木県)
- 1970年 徳島カントリー倶楽部(徳島県)
- 1972年 沖縄国際ゴルフ倶楽部(沖縄県)
- 1975年 伊豆下田カントリークラブ(静岡県)
- 1975年 福井カントリークラブ(福井県、現フクイカントリークラブ)
- 1975年 立山カントリークラブ(富山県)
- 1975年 金沢カントリー倶楽部(石川県)
- 1985年 妙見富士カントリークラブ(兵庫県)
- 1987年 ベルエアカントリークラブ(群馬県)
- 1990年 ベルビーチゴルフクラブ(沖縄県)
- 1995年 琴南カントリークラブ(香川県)