「エマ・オブ・ノーマンディー」の版間の差分
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2020年1月31日 (金) 10:55時点における版
エマ・オブ・ノーマンディー Emma of Normandy | |
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イングランド王妃 デンマーク王妃 ノルウェー王妃 | |
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在位 |
イングランド王妃:1002年 - 1013年、1014年 - 1016年、1016年 - 1035年 デンマーク王妃:1018年 - 1035年 ノルウェー王妃:1028/30年 - 1035年 |
出生 |
985年頃 ノルマンディー |
死去 |
1052年3月6日 イングランド王国、ハンプシャー、ウィンチェスター |
埋葬 | イングランド王国、ウィンチェスター、オールドミンスター大聖堂 |
配偶者 | イングランド王エゼルレッド2世 |
イングランド王クヌート1世 | |
子女 |
ゴーダ エドワード アルフレッド・アシリング ハーデクヌーズ グンヒルダ |
父親 | ノルマンディー公リシャール1世 |
母親 | グンノーラ |
エマ(Emma, 985年頃 - 1052年3月6日)はノルマンディー公リシャール1世とその2番目の妻グンノーラの娘で、2度の結婚で2度続けてイングランド王妃となった。最初の夫はエゼルレッド2世で、2度目の夫はクヌート1世。2人の夫ともうけた子供たちのうち、それぞれから1人ずつが後にイングランド王になった。クヌートとの子ハーデクヌーズと、エゼルレッド2世との子エドワード懺悔王である。さらに、兄ノルマンディー公リシャール2世の孫ウィリアム1世もイングランド王となった。
生涯
エゼルレッド2世との結婚は1002年で、2度目の妻だった。海峡を挟んで脅威であったノルマンディーの攻撃を回避するための政略結婚だったと思われる。
エゼルレッド2世との間に3人の子供が生まれた。
- ゴーダ(Goda、またはGodjifu)(1004年 - 1047年頃) - ドルー・ド・ヴェクサン(en)、続いてブローニュ伯ウスタシュ2世と結婚。
- エドワード懺悔王(1004年頃 - 1066年) - イングランド王
- アルフレッド・アシリング(Alfred Aetheling)(1005年頃 - 1036年)
1013年、デンマークがイングランドを侵略し、子供のエドワードとアルフレッドはノルマンディーに亡命した。
1016年、エゼルレッド2世が、さらに続いてイングランド王となったエドマンド2世(エゼルレッド2世と最初の妻の子)が亡くなり、デンマーク王子クヌートがイングランド王になった。
クヌートには「仮祝言した」妻エルギフ・オブ・ノーサンプトン(Aelgifu of Northampton)がいたが、1017年にエマと結婚した。クヌートはエマとの間に生まれた子ハーデクヌーズをデンマークの王位継承者にすることを誓約した。それは、エマへの愛を意味しているのかも知れないが、ノルマン人に現状に満足し、介入を思いとどまってもらう意図もあったようで、つまり、最初の結婚の時と同じく、政略結婚であったことを窺わせる。
クヌートとの間に2人の子供が生まれた。
- ハーデクヌーズ(1018/19年 - 1042年) - デンマーク王、イングランド王
- グンヒルダ(Gunhilda)(1020年頃 - 1038年) - 神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世の最初の妻。
1035年、クヌートが亡くなった。デンマーク王は約束通りハーデクヌーズが継承したが、イングランド王の王冠をかぶったのは、イングランド貴族の支持を受けた、ハーデクヌーズの異母兄ハロルドだった。
1036年、息子のエドワードとアルフレッドがエマに会うために、亡命先のノルマンディーから帰国した。ハロルドに対抗する動きのように思われる。しかし、弟のアルフレッドは捕らえられ、目を潰され、その傷がもとでまもなく死んでしまった。兄のエドワードはノルマンディーに逃げ帰った。エマ本人もすぐさまブルッヘ、それからフランドル伯の宮廷に逃げた。『Encomium Emmae(エマ賛辞)』という本はその宮廷で書かれたものである。
1040年、ハロルドが亡くなり、ハーデクヌーズがイングランド王の王冠をかぶった。ハーデクヌーズはノルウェーとスウェーデンの領土を失っていたが、デンマークの安全は確保していた。
1041年、エドワードが帰国した。ハーデクヌーズはノルマンディー宮廷に対して、もし自分に子供がいなければエドワードが王になるべきだと言った。
1042年、ハーデクヌーズが亡くなって、エドワードがイングランド王になった。その時、エマは息子のエドワードでなく、マグヌスを支持したので、ずっと見捨てられたままだった。
評価
エマは2度の結婚の2度とも、最初の妻より劣っていると見られることが多い。出産中の合併症から亡くなったエゼルレッド2世の最初の妻エルギフは尊敬されていた[1]。クヌートとの結婚では、先に「仮祝言した」妻エルギフ・オブ・ノーサンプトンの影に隠れて、当時はエルギフ・オブ・ノーマンディーという名で呼ばれていた。
ともあれ、エマの2度の結婚はイングランドとノルマンディーの強い絆を生み、後にそれはエマの大甥ウィリアム1世による1066年のノルマン・コンクエストで頂点を迎えることになる。
参考文献
- Pauline Stafford. Queen Emma and Queen Edith: Queenship and Women's Power in Eleventh-century England 2001 Blackwell's
- Isabella Strachan. Emma: The Twice-crowned Queen of England in the Viking Age 2005 Peter Owen
- Harriet O'Brien. Queen Emma and the Vikings 2005 Bloomsbury U.S.A.
- Helen Hollick. The Hollow Crown. (August 2004) William Heinemann, Random House. ISBN 0-434-00491-X; Arrow paperback ISBN 0-09-927234-2. This is a historical novel about Queen Emma of Normandy, explaining why she was so indifferent to the children of her first marriage.
- Noah Gordon. The Physician 1986 Macmillan ISBN 067147748X . Novel set in the early 11th century.
脚注
- ^ Trow, M.J., Cnut: Emperor of the North, first edn., Sutton (2005), pg. 54