「青崩峠」の版間の差分

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'''青崩峠'''(あおくずれとうげ)は[[静岡県]][[浜松市]][[天竜区]]と[[長野県]][[飯田市]]の間にある[[標高]]1,082[[メートル|m]]の[[峠]]である。峠付近の地質構造は、[[中央構造線]]による[[破砕帯]]となっており、山腹に広がるむき出しになった青い岩盤から峠の名が付けられた。静岡県側・長野県側ともに、国道152号の端点から林道、遊歩道(かつての[[塩の道 (日本)|塩の道]])を歩いて峠にたどり着くことができる。[[武田信玄]]による[[西上作戦|1572年の徳川領侵攻]]において、軍兵の一部が通過したことで知られている。
'''青崩峠'''(あおくずれとうげ)は[[静岡県]][[浜松市]][[天竜区]][[水窪町]]奥領家と[[長野県]][[飯田市]]南信濃八重河内の間にある[[標高]]1,082[[メートル|m]]の[[峠]]である。峠付近の地質構造は、[[中央構造線]]による[[破砕帯]]となっており、山腹に広がるむき出しになった青い岩盤から峠の名が付けられた。静岡県側・長野県側ともに、国道152号の端点から林道、遊歩道(かつての[[塩の道 (日本)|塩の道]])を歩いて峠にたどり着くことができる。[[武田信玄]]による[[西上作戦|1572年の徳川領侵攻]]において、軍兵の一部が通過したことで知られている。


==概要==
[[国道152号]]の[[点線国道]]区間で未通区域となっている。1987年より[[三遠南信自動車道]]の一部としても位置づけられているが、地形の急峻さと地盤が脆弱なために道路([[青崩峠道路]])建設では後述の計画変更・事業の遅れが発生し、2017年版までの[[ツーリングマップル]]では「あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」と評されていた。当初計画では青崩峠の迂回のために[[兵越峠]]直下を通過するルートが選択され、[[草木トンネル (道路)|草木トンネル]]が建設されたが、兵越峠の地盤も脆弱なことが判明し、地盤のやや硬い青崩峠西側を通るルート(青崩トンネル)に変更された経緯がある。大型以外の車両は草木トンネルを通って隣接する兵越林道を使用することにより迂回が可能。
[[国道152号]]の[[点線国道]]区間で未通区域となっている。1987年より[[三遠南信自動車道]]の一部としても位置づけられているが、地形の急峻さと地盤が脆弱なために道路([[青崩峠道路]])建設では後述の計画変更・事業の遅れが発生し、2017年版までの[[ツーリングマップル]]では「あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」と評されていた。当初計画では青崩峠の迂回のために[[兵越峠]]直下を通過するルートが選択され、[[草木トンネル (道路)|草木トンネル]]が建設されたが、兵越峠の地盤も脆弱なことが判明し、地盤のやや硬い青崩峠西側を通るルート(青崩トンネル)に変更された経緯がある。大型以外の車両は草木トンネルを通って隣接する兵越林道を使用することにより迂回が可能。


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2019年3月、青崩峠トンネル(仮称)本坑の着工式が開催された<ref>[http://minamishinshu.jp/news/economy/%EF%BC%93%E6%9C%88%E3%81%AB%E9%9D%92%E5%B4%A9%E5%B3%A0%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E6%9C%AC%E5%9D%91%E7%9D%80%E5%B7%A5%E5%BC%8F%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%B8.html 3月に青崩峠トンネル本坑着工式開催へ « ミナミシンシュウ.jp] - [[南信州新聞]]</ref>。青崩峠にトンネルが開通すれば、南信濃―水窪間のアクセスが現状の30分から約6分へと劇的に短縮する。開通時期は未定。
2019年3月、青崩峠トンネル(仮称)本坑の着工式が開催された<ref>[http://minamishinshu.jp/news/economy/%EF%BC%93%E6%9C%88%E3%81%AB%E9%9D%92%E5%B4%A9%E5%B3%A0%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E6%9C%AC%E5%9D%91%E7%9D%80%E5%B7%A5%E5%BC%8F%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%B8.html 3月に青崩峠トンネル本坑着工式開催へ « ミナミシンシュウ.jp] - [[南信州新聞]]</ref>。青崩峠にトンネルが開通すれば、南信濃―水窪間のアクセスが現状の30分から約6分へと劇的に短縮する。開通時期は未定。

==文化財==
*静岡県側は1996年(平成8年)3月12日に静岡県指定[[史跡]]に指定された<ref>[https://toukei.pref.shizuoka.jp/bunkazaihogoka/data/18-060/documents/shiteibunkazairist.pdf 静岡県内指定文化財リスト(PDF)]-静岡県([https://toukei.pref.shizuoka.jp/bunkazaihogoka/data/18-060/40034.html 統計センターしずおか])</ref>。
*長野県側は1999年(平成11年)12月22日に[[南信濃村]](現・飯田市)指定史跡に指定された<ref>[https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/aokuzure.html 文化財保護いいだ]-長野県飯田市</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2019年8月11日 (日) 02:15時点における版

青崩峠
静岡県側から長野県側を望む(2009年撮影)
所在地 静岡県浜松市天竜区長野県飯田市
座標
青崩峠の位置(日本内)
青崩峠
北緯35度15分14.1秒 東経137度54分39.8秒 / 北緯35.253917度 東経137.911056度 / 35.253917; 137.911056座標: 北緯35度15分14.1秒 東経137度54分39.8秒 / 北緯35.253917度 東経137.911056度 / 35.253917; 137.911056
標高 1,082 m
通過路 国道152号
プロジェクト 地形
テンプレートを表示
青崩峠の位置(100x100内)
青崩峠
静岡県における青崩峠の位置

青崩峠(あおくずれとうげ)は静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家と長野県飯田市南信濃八重河内の間にある標高1,082mである。峠付近の地質構造は、中央構造線による破砕帯となっており、山腹に広がるむき出しになった青い岩盤から峠の名が付けられた。静岡県側・長野県側ともに、国道152号の端点から林道、遊歩道(かつての塩の道)を歩いて峠にたどり着くことができる。武田信玄による1572年の徳川領侵攻において、軍兵の一部が通過したことで知られている。

概要

国道152号点線国道区間で未通区域となっている。1987年より三遠南信自動車道の一部としても位置づけられているが、地形の急峻さと地盤が脆弱なために道路(青崩峠道路)建設では後述の計画変更・事業の遅れが発生し、2017年版までのツーリングマップルでは「あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」と評されていた。当初計画では青崩峠の迂回のために兵越峠直下を通過するルートが選択され、草木トンネルが建設されたが、兵越峠の地盤も脆弱なことが判明し、地盤のやや硬い青崩峠西側を通るルート(青崩トンネル)に変更された経緯がある。大型以外の車両は草木トンネルを通って隣接する兵越林道を使用することにより迂回が可能。

なおツーリングマップルの記述は、青崩峠道路の再着工に伴って2018年版より「トンネル工事が再開」に変更された。

青崩峠道路

2013年から、青崩峠を越えるための道路が、青崩峠直下よりも西寄りにトンネルを通す形で事業化され、工事が進められている[1]。まず長野側・静岡側の双方より、本坑に先立つトンネル調査抗の切削が開始され、長野側では2018年に切削が完了した。静岡側は2019年3月に完了予定だったが、2019年5月現在でも開通しておらず、その時期も未定となっている。トンネル調査抗は、本坑工事で発生した土砂の運搬通路として利用され、また本坑の開通後は非常用通路として利用される。

2019年3月、青崩峠トンネル(仮称)本坑の着工式が開催された[2]。青崩峠にトンネルが開通すれば、南信濃―水窪間のアクセスが現状の30分から約6分へと劇的に短縮する。開通時期は未定。

文化財

  • 静岡県側は1996年(平成8年)3月12日に静岡県指定史跡に指定された[3]
  • 長野県側は1999年(平成11年)12月22日に南信濃村(現・飯田市)指定史跡に指定された[4]

脚注

関連項目