「塩原御用邸」の版間の差分
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三島別荘は、三島通庸が栃木県令を退任したあとの1888年(明治21年)に構えたもので三島一族の静養の場として利用されていた。御用邸となった当初は三島別荘を増改築しただけの建物であったが、1905年(明治38年)7月には新御在所が造営され、翌年にはさらに増築された。<br> |
三島別荘は、三島通庸が栃木県令を退任したあとの1888年(明治21年)に構えたもので三島一族の静養の場として利用されていた。御用邸となった当初は三島別荘を増改築しただけの建物であったが、1905年(明治38年)7月には新御在所が造営され、翌年にはさらに増築された。<br> |
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敷地約1万5500坪、建坪3000坪の敷地内に源泉を有していた。大正天皇や[[昭和天皇]]を始めとする数多くの[[皇族]]が[[避暑]]目的で利用したが、特に、幼少期の[[三笠宮崇仁親王]]が連年にわたって利用したことから、通称「澄宮御殿」と称された。また、1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)初秋にかけて、女子学習院の初等科4年生から中等科2年生の212名と職員31名が塩原を疎開先としたため、 |
敷地約1万5500坪、建坪3000坪の敷地内に源泉を有していた。大正天皇や[[昭和天皇]]を始めとする数多くの[[皇族]]が[[避暑]]目的で利用したが、特に、幼少期の[[三笠宮崇仁親王]]が連年にわたって利用したことから、通称「澄宮御殿」と称された。また、1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)初秋にかけて、女子学習院の初等科4年生から中等科2年生の212名と職員31名が塩原を疎開先としたため、[[昭和天皇]]の皇女[[池田厚子|厚子内親王]]・[[島津貴子|貴子内親王]]の疎開先としても利用され、御用邸前庭に内親王殿下用の地下防空壕が掘られた。 |
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[[1946年]](昭和21年)には皇室財産整理のため御用邸は廃止されたが、視力[[障害者]]復帰施設として利用するため[[厚生省]]へ移管された。[[1948年]](昭和23年)には「国立塩原光明寮」が開設され、1964年(昭和39年)に「[[国立塩原視力障害センター]]」へ改編し、2013年(平成25年)まで使用された。 |
2019年2月3日 (日) 11:52時点における版
塩原御用邸(しおばらごようてい)は、1904年(明治37年)に造営された御用邸である。1946年(昭和21年)に廃止された。
概要
塩原温泉は、古来より勇壮な渓谷美を有する温泉郷として知られていた。
皇太子時代、虚弱だった大正天皇は、1902年(明治35年)7月31日から9月19日までの51日間中山侯爵の
別荘に避暑に行啓した。
1903年(明治36年)の夏再び塩原に行啓したが中山別荘では長期滞在には手狭なため、宮内省からの申し出で、三島子爵の別荘を借り上げ35日間滞在した。
子爵三島通庸は、別荘献納を検討していたものの、果たされることなく死去した[要出典]ため、当時の当主である嗣子弥太郎が「殿下のお好みに叶ったのならば」と宮内省へ献納を申し出たことにより、1904年〔明治37年)に御用邸が造営された。
三島別荘は、三島通庸が栃木県令を退任したあとの1888年(明治21年)に構えたもので三島一族の静養の場として利用されていた。御用邸となった当初は三島別荘を増改築しただけの建物であったが、1905年(明治38年)7月には新御在所が造営され、翌年にはさらに増築された。
敷地約1万5500坪、建坪3000坪の敷地内に源泉を有していた。大正天皇や昭和天皇を始めとする数多くの皇族が避暑目的で利用したが、特に、幼少期の三笠宮崇仁親王が連年にわたって利用したことから、通称「澄宮御殿」と称された。また、1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)初秋にかけて、女子学習院の初等科4年生から中等科2年生の212名と職員31名が塩原を疎開先としたため、昭和天皇の皇女厚子内親王・貴子内親王の疎開先としても利用され、御用邸前庭に内親王殿下用の地下防空壕が掘られた。
1946年(昭和21年)には皇室財産整理のため御用邸は廃止されたが、視力障害者復帰施設として利用するため厚生省へ移管された。1948年(昭和23年)には「国立塩原光明寮」が開設され、1964年(昭和39年)に「国立塩原視力障害センター」へ改編し、2013年(平成25年)まで使用された。
遺構
1981年の同センター改築に伴い、旧御座所棟のみ近隣へ移築保存された。栃木県有形文化財に指定され、現在は「天皇の間記念公園」として一般公開されている。
出典
- 「塩原温泉ストーリー」(2016.9.17 那須塩原市那須野が原博物館発行)P158-159
外部リンク
- 塩原天皇の間記念公園 ※リンク切れ