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| 氏名 = 多久茂富 |
| 氏名 = 多久茂富 |
2019年1月24日 (木) 13:35時点における版
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正12年(1584年) |
死没 | 万治2年6月26日(1659年8月14日) |
別名 | 慶法師、孫四郎、図書 |
墓所 | 佐賀県佐賀市八戸龍雲寺 |
主君 | 龍造寺高房→鍋島勝茂 |
藩 | 肥前佐賀藩 |
氏族 | 後藤氏→後多久氏(多久鍋島家)→鍋島氏 |
父母 |
父:龍造寺家均、母:心光院(龍造寺長信の娘) 養父:多久安順 |
妻 | 正室:大田茂連の娘 |
子 | 茂辰 |
多久 茂富(たく しげとみ)は、江戸時代の武士。肥前国佐賀藩士。多久鍋島家(後多久氏)2代当主茂辰の父。
略歴
天正12年(1584年)、龍造寺家均(後藤家明)の子として生まれる。父家均は武雄領主後藤貴明の子で、天正5年(1577年)に龍造寺隆信と和睦の際に隆信の養子となった。
天正16年(1588年)母の兄多久安順の養子となる。部屋住で大組頭となり大坂の陣にも出陣したが、寛永5年(1628年)養父安順の勘気にふれて義絶し、増田村に蟄居して増田図書と名乗った。後に、藩主鍋島勝茂より鍋島姓を許され鳥坂村に閑居した。寛永14年(1637年)島原の乱に手勢を率いて出陣。寛永18年(1641年)閑居の身ながら出陣したことを賞され、勝茂より勘気を解かれる。
万治2年(1659年)8月14日鳥坂で死去。享年75。茂富は、葉隠の著者山本常朝の幼名「松亀」の名付け親で葉隠にも逸話が記載されている。