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'''サミュエル・バトラー''' (Samuel Butler, [[1612年]][[12月4日]] - [[1680年]][[9月25日]])は、[[イギリス]]の[[詩人]]。[[ウスターシャー]]出身。
'''サミュエル・バトラー''' (Samuel Butler, [[1612年]][[12月4日]] - [[1680年]][[9月25日]])は、[[イギリス]]の[[詩人]]。[[ウスターシャー]]出身。


農家に生まれ、幼児伯爵夫人の小姓を務め、のち[[清教徒]]の保安官サー・サミュエル・リュークに仕えたが、清教徒に反感を抱くにいたる。1660年[[イングランド王政復古|王政復古]]ののち、[[ウェールズ]]総督カーベリーの秘書官となり、[[ラドロー城]]の執事を務めるが結婚してロンドンに行く。1662年、風刺詩の『[[ヒューディブラス]]』(''Hudibras'')を刊行、清教徒を痛烈に風刺して[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]から年金をもらう。頑固な聖職者である主人公ヒューディブラスの偽善と利己主義が暴露される。『[[ドン・キホーテ]]』の影響があるという。晩年は貧苦のうちに死んだという。日本ではまだ完訳は出ていない
農家に生まれ、幼児伯爵夫人の小姓を務め、のち[[清教徒]]の保安官サー・サミュエル・リュークに仕えたが、清教徒に反感を抱くにいたる。1660年[[イングランド王政復古|王政復古]]ののち、[[ウェールズ]]総督カーベリーの秘書官となり、[[ラドロー城]]の執事を務めるが結婚してロンドンに行く。1662年、風刺詩の『[[ヒューディブラス]]』(''Hudibras'')を刊行、清教徒を痛烈に風刺して[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]から年金をもらう。頑固な聖職者である主人公ヒューディブラスの偽善と利己主義が暴露される。『[[ドン・キホーテ]]』の影響があるという。晩年は貧苦のうちに死んだという。


同姓同名の小説家[[サミュエル・バトラー]]([[1835年]] - [[1902年]])と区別するため、それぞれの代表作にちなみ、詩人のバトラーをヒューディブラス・バトラー、小説家のバトラーを[[エレホン]]・バトラーと呼ぶことがある。
同姓同名の小説家[[サミュエル・バトラー]]([[1835年]] - [[1902年]])と区別するため、それぞれの代表作にちなみ、詩人のバトラーをヒューディブラス・バトラー、小説家のバトラーをエレホン・バトラーと呼ぶことがある。


== 日本語文献 ==
== 日本語文献 ==

2019年1月5日 (土) 07:05時点における版

サミュエル・バトラー

サミュエル・バトラー (Samuel Butler, 1612年12月4日 - 1680年9月25日)は、イギリス詩人ウスターシャー出身。

農家に生まれ、幼児伯爵夫人の小姓を務め、のち清教徒の保安官サー・サミュエル・リュークに仕えたが、清教徒に反感を抱くにいたる。1660年王政復古ののち、ウェールズ総督カーベリーの秘書官となり、ラドロー城の執事を務めるが結婚してロンドンに行く。1662年、風刺詩の『ヒューディブラス』(Hudibras)を刊行、清教徒を痛烈に風刺してチャールズ2世から年金をもらう。頑固な聖職者である主人公ヒューディブラスの偽善と利己主義が暴露される。『ドン・キホーテ』の影響があるという。晩年は貧苦のうちに死んだという。

同姓同名の小説家サミュエル・バトラー1835年 - 1902年)と区別するため、それぞれの代表作にちなみ、詩人のバトラーをヒューディブラス・バトラー、小説家のバトラーをエレホン・バトラーと呼ぶことがある。

日本語文献

  • 小池政雄「サミュエル・バトラー作「ヒューディブラス」第一部第一歌試訳」『研究紀要』1979年-1980年
  • 「ヒューディブラス」注解」『研究紀要』1987年-1995年
  • 「サミュエル・バトラー作「ヒューディブラス」試訳(第一部 第三歌)『佐賀大学英文学研究』1991年-2003年
  • 田中有美「悪役ドン・キホーテ―サミュエル・バトラーの『ヒューディブラス』におけるセルバンテス受容」『比較文學研究』2003年-2004年
  • バトラー研究会訳「ヒューディブラス」松籟社 2018年