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'''ヤンネ・ヴァータイネン'''(Janne Henrik Väätäinen、[[1975年]][[3月6日]] - )は[[フィンランド]]、[[クオピオ]]出身の元[[スキージャンプ]]選手、指導者。現役時代は1990年代に国際大会で活躍、引退後はフィンランドナショナルチームのヘッドコーチを務めた後、日本でもコーチを務めている。
'''ヤンネ・ヴァータイネン'''(Janne Henrik Väätäinen、[[1975年]][[3月6日]] - )は[[フィンランド]]、[[クオピオ]]出身の元[[スキージャンプ]]選手、指導者。現役時代は1990年代に国際大会で活躍、引退後はフィンランドナショナルチームのヘッドコーチを務めた後、日本でもコーチを務めている。


== プロフィール ==
== プロフィール ==
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翌1992年の2月29日に[[ラハティ]]で[[スキージャンプ・ワールドカップ]]にデビューし、44位に終わったが3月に行われたジュニア世界選手権では団体で金メダルを獲得した<ref>[http://www.fis-ski.com/de/606/612.html?sector=JP&competitorid=63288&raceid=1518 1992FIS_Junior_World_Ski_Championships_Men's_TeamK80]</ref>。
翌1992年の2月29日に[[ラハティ]]で[[スキージャンプ・ワールドカップ]]にデビューし、44位に終わったが3月に行われたジュニア世界選手権では団体で金メダルを獲得した<ref>[http://www.fis-ski.com/de/606/612.html?sector=JP&competitorid=63288&raceid=1518 1992FIS_Junior_World_Ski_Championships_Men's_TeamK80]</ref>。


1994年の[[リレハンメルオリンピックにおけるスキージャンプ競技|リレハンメルオリンピック]]代表となりノーマルヒル30位、[[ライモ・ユリプリ]]、[[ヤンネ・アホネン]]、[[ヤニ・ソイニネン]]と組んだ団体では5位となった。
1994年の[[1994年リレハンメルオリンピックスキージャンプ競技|リレハンメルオリンピック]]代表となりノーマルヒル30位、[[ライモ・ユリプリ]]、[[ヤンネ・アホネン]]、[[ヤニ・ソイニネン]]と組んだ団体では5位となった。


同年の[[スキーフライング世界選手権]]では14位、3月26日のノーマルヒルでは自己初のトップテンとなる8位となった。このシーズンはワールドカップ総合自己最高の18位となった。
同年の[[スキーフライング世界選手権]]では14位、3月26日のノーマルヒルでは自己初のトップテンとなる8位となった。このシーズンはワールドカップ総合自己最高の18位となった。
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== 脚注==
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== 外部リンク ==
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[[Category:クオピオ出身の人物]]
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[[Category:1975年生]]
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[[Category:存命人物]]

2018年10月23日 (火) 04:28時点における版

ヤンネ・ヴァータイネン
基本情報
フルネーム Janne Henrik Väätäinen
誕生日 (1975-03-06) 1975年3月6日(49歳)
出身地  フィンランド
クオピオ
身長 185cm
選手情報
クラブ Puijon Hiihtoseura
ワールドカップ
シーズン 1992年–2001年
獲得メダル
ノルディックスキージュニア世界選手権
1992 Vuokatti 団体
1992 Reit im Winkl 団体
最終更新日:2012年12月22日
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ヤンネ・ヴァータイネン(Janne Henrik Väätäinen、1975年3月6日 - )は、フィンランドクオピオ出身の元スキージャンプ選手、指導者。現役時代は1990年代に国際大会で活躍、引退後はフィンランドナショナルチームのヘッドコーチを務めた後、日本でもコーチを務めている。

プロフィール

1991年のノルディックスキージュニア世界選手権で国際大会にデビュー、団体で銅メダルを獲得した[1]

翌1992年の2月29日にラハティスキージャンプ・ワールドカップにデビューし、44位に終わったが3月に行われたジュニア世界選手権では団体で金メダルを獲得した[2]

1994年のリレハンメルオリンピック代表となりノーマルヒル30位、ライモ・ユリプリヤンネ・アホネンヤニ・ソイニネンと組んだ団体では5位となった。

同年のスキーフライング世界選手権では14位、3月26日のノーマルヒルでは自己初のトップテンとなる8位となった。このシーズンはワールドカップ総合自己最高の18位となった。 1996年2月28日に地元クオピオでのノーマルヒルでワールドカップ自己最高の3位となった。

2000-2001シーズンを最後に現役を引退した。

2002年からフィンランドBチームコーチ、2004年からAチームのアシスタントコーチを務め2008年4月からトミ・ニクネンの後任としてナショナルチームヘッドコーチに就任した。2010年4月に退任、 同年夏から日本山田大起のパーソナルコーチ[3]、 2011年からは日本土屋ホームスキー部コーチ、日本のナショナルチームのコーチを務めている[4][5][6][7]


「スキージャンパーの歌」で有名なオーストリアのバンドChristoph und Lolloが「ヤンネ・ヴァータイネンの歌」を発表している[8]

脚注

外部リンク