「レヴァン・ツィンツァゼ (脚本家)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
ページ「ლევან (ბუთური) ცინცაძე」の翻訳により作成
 
編集の要約なし
1行目: 1行目:
{{ActorActress
'''レヴァン・ツィンツァゼ''' は、ジョージアの脚本家。
| 芸名 =
| ふりがな =
| 画像ファイル =
| 画像サイズ =
| 画像コメント =
| 本名 = レヴァン・ツィンツァゼ
| 別名義 =
| 出生地 =
| 出身地 =
| 死没地 =
| 国籍 = {{GEO-SSR}}
| 民族 =
| 身長 =
| 血液型 =
| 生年 = 1931
| 生月 = 2
| 生日 = 10
| 没年 = 2002
| 没月 = 1
| 没日 = 24
| 職業 = 脚本家
| ジャンル = ドキュメンタリー
| 活動期間 =
| 活動内容 =
| 配偶者 =
| 著名な家族 =
| 所属劇団 =
| 事務所 =
| 公式サイト =
| 主な作品 =
| アカデミー賞 =
| AFI賞 =
| 英国アカデミー賞 =
| セザール賞 =
| エミー賞 =
| ジェミニ賞 =
| ゴールデングローブ賞 =
| ゴールデンラズベリー賞 =
| ゴヤ賞 =
| グラミー賞 =
| ブルーリボン賞 =
| ローレンス・オリヴィエ賞 =
| 全米映画俳優組合賞 =
| トニー賞 =
| 日本アカデミー賞 =
| その他の賞 = ジョージア文化功労章
| 備考 =
}}
'''レヴァン・ツィンツァゼ'''({{Lang-ka|ლევან ცინცაძე}}、{{Lang-*-Latn|ka|Levan Tsintsadze}}、[[1931年]][[2月10日]] – [[2002年]][[1月24日]])は、[[ジョージア (国)|ジョージア]]の[[脚本家]]。


== 略歴 ==
== 生涯 ==
1931年に誕生。1956年に[[トビリシ国立大学]]新聞学部を卒業。1955年から1959年まで複数の[[新聞社]]で編集に関わった。1959年から1961年までは映画スタジオにて歴史[[ドキュメンタリー]]や[[ポピュラーサイエンス]]分野の編集に携わり、続いて記録室長(1961年–1966年)、副所長(1966年–1967年)を務めた。1967年から1990年までは雑誌『人と法』で作家および編集者となり、また歴史映画作品の脚本および監督をした。1979年にジョージア文化功労章を受章<ref name="geocinema" />。
生まれ [[1931年|1931]] 年 [[2月10日|月10]]です。 [[1956年|1956年に]] 卒業トビリシ大学学ジャーナリズムです。 1955-1959た様々な新聞編集部の事務所です。 [[1959年]]-[[1961年|1961]] 年記のドキュメントおよび科学-人気映画スタジオのエディタのたクロニクルの頭部(1961-1966ター長([[1966年|1966]]-[[1967年|1967]])には、 [[1967年]]-[[1990年]] -J/P"人とする法律"の話の脚本-監督。 省文賞(1979年)です。


== 作品 ==
== 作品 ==
ツィンツァゼは以下の映画作品の脚本を作成した<ref name="geocinema">{{Cite web|title=ლევან (ბუთური) ცინცაძე, ეროვნული ფილმოგრაფია|url=http://geocinema.ge/ge/scenari.php?kod5=698|accessdate=2018-01-05}}</ref>。
: 脚本の映画
# 道の自由を.. (1992)ドキュメン
* 『言葉とは何か』(1968年) - ドキュメンタリー
* 『メラブ・ベルゼニシヴィリ』(1976年) - ドキュメンタリー
# Merab berdzenishvili(1976)ドキュメント
# 言語で広告(1968)ドキュメン
* 『自由へ道は…?』(1992年) - ドキュメンタリー


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
{{Reflist}}
* [http://geocinema.ge/ge/scenari.php?kod5=698 レヴァン(サターン)tsintsadze]

{{デフォルトソート:ついんつあせ れうあん}}
[[Category:1931年生]]
[[Category:1931年生]]
[[Category:2002年没]]
[[Category:グルジアの著作家]]

2018年1月5日 (金) 10:33時点における版

本名 レヴァン・ツィンツァゼ
生年月日 (1931-02-10) 1931年2月10日
没年月日 (2002-01-24) 2002年1月24日(70歳没)
国籍  グルジアSSR
職業 脚本家
ジャンル ドキュメンタリー
 
受賞
ジョージア文化功労章
テンプレートを表示

レヴァン・ツィンツァゼグルジア語: ლევან ცინცაძეグルジア語ラテン翻字: Levan Tsintsadze1931年2月10日2002年1月24日)は、ジョージア脚本家

生涯

1931年に誕生。1956年にトビリシ国立大学新聞学部を卒業。1955年から1959年まで複数の新聞社で編集に関わった。1959年から1961年までは映画スタジオにて歴史ドキュメンタリーポピュラーサイエンス分野の編集に携わり、続いて記録室長(1961年–1966年)、副所長(1966年–1967年)を務めた。1967年から1990年までは雑誌『人と法』で作家および編集者となり、また歴史映画作品の脚本および監督をした。1979年にジョージア文化功労章を受章[1]

作品

ツィンツァゼは以下の映画作品の脚本を作成した[1]

  • 『言葉とは何か』(1968年) - ドキュメンタリー
  • 『メラブ・ベルゼニシヴィリ』(1976年) - ドキュメンタリー
  • 『自由への道は…?』(1992年) - ドキュメンタリー

参考文献