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== 参考資料 ==
== 参考資料 ==
* 『[[史記]]』
:* 匈奴列伝 - 匈奴・[[中行説]]
* 『[[漢書]]』
:* 匈奴伝 - 匈奴
* 『[[後漢書]]』
:* 南匈奴列伝 - [[南匈奴]]
:* 烏桓鮮卑列伝 - [[烏桓]]・鮮卑
* 『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』
:* 烏丸鮮卑東夷伝 - [[烏桓|烏丸]]・鮮卑・[[夫余|夫餘]]・[[高句麗]]・東沃沮・[[ユウ婁|挹婁]]・濊・[[三韓|韓]]・倭
* 『[[晋書]]』
:* 列伝第67 四夷 - [[夫余|夫餘国]]・[[馬韓]]・[[辰韓]]・[[肅慎氏]]・[[倭国|倭人]]・[[吐谷渾]]・[[焉耆|焉耆国]]・[[亀茲|亀茲国]]・[[大宛|大宛国]]・[[康居|康居国]]・[[大秦|大秦国]]・[[チャンパ王国|林邑国]]・[[扶南|扶南国]]・匈奴
* 『[[宋書]]』
:* 列伝第五十五 [[拓跋部|索虜]] - [[北魏]]
:* 列伝第五十六 鮮卑吐谷渾 - 吐谷渾
* 『[[南斉書]]』
:* 列伝第三十八 魏虜 - [[北魏|魏虜]]
:* 列伝第四十 - [[柔然|芮芮虜]]・[[吐谷渾|河南]]・[[仇池|氐楊氏]]・[[宕昌国|宕昌]]
* 『[[梁書]]』
:* 列伝第四十八 [[四夷|諸夷]]
::* 西北諸戎
:::* [[吐谷渾|河南王国]] - 河南王者,其先出自鮮卑慕容氏
:::* [[高昌国]]
:::* 滑国 - 滑國者,車師之別種也
:::* 周古柯国 - 周古柯國,滑旁小國也
:::* 呵跋檀国 - 呵跋檀國,亦滑旁小國也
:::* 胡蜜丹国 - 胡蜜丹國,亦滑旁小國也
:::* 白題国 - 白題國,王姓支名史稽毅,其先蓋匈奴之別種胡也
:::* [[亀茲]] - 龜茲者,西域之舊國也
:::* [[ホータン王国|于闐]] - 于闐國,西域之屬也
:::* 渇盤陁国 - 「渴盤陁國,于闐西小國也。西鄰滑國,南接罽賓國,北連沙勒國。所治在山谷中,城周回十餘里,國有十二城。風俗與於闐相類」([[タシュクルガン・タジク自治県]]<ref>[[玄奘三蔵]]「[[大唐西域記]]」</ref>)
:::* 末国 - 「末國,漢世且末國也。勝兵萬餘戶。北與丁零,東與白題,西與波斯接」
:::* [[ペルシア|波斯国]] - 波斯國,其先有波斯匿王者,子孫以王父字爲氏,因爲國號
:::* [[宕昌国]] - 宕昌國,在河南之東南,益州之西北,隴西之西,羌種也
:::* [[鄧至|鄧至国]] - 鄧至國,居西涼州界,羌別種也。白水羌ともいい、中国の[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]に[[羌]]族が建国。現在の[[四川省]][[九寨溝県]]。
:::* [[仇池|武興国]] - 武興國,本仇池。
:::* [[柔然|芮芮国]] - 「芮芮國,蓋匈奴別種。魏、晉世,匈奴分爲數百千部,各有名號,芮芮其一部也」
* 『[[魏書]]』
:* 列伝第八十八 - 高句麗・百済・[[勿吉]]・[[室韋|失韋]]・[[豆莫婁]]・[[地豆于]]・[[奚|庫莫奚]]・契丹・[[烏洛侯]]
:* 列伝第九十一 - [[柔然|蠕蠕]]・[[宇文莫圭|匈奴宇文莫槐]]・[[段疾陸眷|徒何段就六眷]]・[[高車]]
* 『[[周書]]』
:* 列伝第四十一 [[四夷|異域]]上 - [[高麗]]・百済・蛮・{{lang|zh|獠}}・[[宕昌国|宕昌]]・[[トウ至|鄧至]]・[[白蘭羌|白蘭]]・[[テイ (民族)|氐]]・[[稽胡]]・[[奚|庫莫奚]]
* 『[[隋書]]』
:* 列伝第四十九 北狄 - 突厥・[[西突厥]]・[[鉄勒]]・[[奚]]・契丹・[[室韋]]
* 『[[南史]]』
:* 列伝第六十九 夷貊下 - 高句麗・百済・新羅・倭国・[[扶桑|扶桑国]]・[[吐谷渾|河南王]]・宕昌国・[[トウ至|鄧至国]]・[[仇池|武興国]]・荊雍州蛮・豫州蛮・高昌国・亀茲・[[ホータン王国|于闐]]・[[ペルシア|波斯国]]・[[柔然|蠕蠕]]
* 『[[北史]]』
:* 列伝第八十二 - [[高句麗|高麗]]・百済・新羅・勿吉・奚・契丹・室韋・豆莫婁・[[地豆于|地豆干]]・烏洛侯・[[台湾の歴史|流求]]・倭
:* 列伝第八十四 - {{JIS2004フォント|[[テイ (民族)|氐]]}}・吐谷渾・[[宕昌国|宕昌]]・{{JIS2004フォント|[[トウ至|鄧至]]}}・党項・[[附国]]・稽胡
:* 列伝第八十六 - [[柔然|蠕蠕]]・[[宇文莫圭|匈奴宇文莫槐]]・[[段疾陸眷|徒何段就六眷]]・高車
:* 列伝第八十七 - 突厥・鉄勒
* 『[[旧唐書]]』
:* 列伝第一百四十四上 突厥上 - [[始畢可汗]]・[[処羅可汗]]・[[頡利可汗]]・[[突利可汗]]・[[阿史那思摩|思摩]]・[[車鼻可汗|車鼻]]・単于 瀚海二都護府・[[阿史那骨咄禄|骨咄禄]]・[[默啜]]・[[毗伽可汗]]・[[登利可汗|登利]]
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* 『[[新唐書]]』
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:* 列伝第一百四十下 突厥下 - 東突厥・西突厥
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* 『[[旧五代史]]』
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* 『[[明史]]』
:* 列伝第二百十五 外国八 - [[北元|韃靼]]
:* 列伝第二百十六 外国九 - [[オイラト|瓦剌]]・[[朶顔衛|朶顔]]([[福余衛|福餘]]・[[泰寧衛|泰寧]])
* 『[[新元史]]』
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* 『[[清史稿]]』
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:* 列伝三百六 藩部二 - [[敖漢]]・[[ナイマン|柰曼]]・[[バアリン部|巴林]]・[[ジャルート旗|扎嚕特]]・[[アルホルチン|阿嚕科爾沁]]・[[オンニュド旗|翁牛特]]・[[ヘシグテン旗|克什克騰]]・[[ハルハ|喀爾喀左翼]]・[[ウジュムチン|烏珠穆沁]]・[[ホーチト|浩斉特]]・[[スニト|蘇尼特]]・[[アバグ旗|阿巴噶]]・[[アバガナル|阿巴哈納爾]]
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:* 列伝三百十一 藩部七 - [[タンヌ・ウリヤンハイ|唐努烏梁海]]・[[アルタイ・ウリヤンハイ|阿爾泰烏梁海]]・[[アルタイノール・ウリヤンハイ|阿爾泰淖爾烏梁海]]
*「楊経敏」『回紇史』(広西師范大学出版社、[[2008年]]、ISBN 978-7-5633-7451-9)
*「楊経敏」『回紇史』(広西師范大学出版社、[[2008年]]、ISBN 978-7-5633-7451-9)



2017年10月7日 (土) 14:53時点における版

四夷の名称

(てき)あるいは北狄(ほくてき)は、四夷の一つ。古代中国において北方の中原都市文化を共有しない遊牧民族を呼んだ呼称である[1]。北方の民族は度々中原を侵略したことから、北方にいた異民族は総じて狄と呼ばれるようになり、北狄は蔑称としての意味合いが強くなった。

夏・商の時代

翟人は紀元前2000年頃にはオルドス地方一帯で繁栄していたようで、考古物から時代ごとの人口の増加と経済的発展が確認される。その後、水と草を追い求めながら東方や南方へ向かって居住地域を拡大、前期には翟人の遊牧地域は華北一帯(主に山西・河北・陝西)で存在していた事が確認されている。商後期・周の時代へ入ると遊牧生活や習俗が礼記に記録されるなど中原の文献にも登場し始め、長狄赤狄白狄といった集団が史書に記されている。それらの首長家系はの公室と通婚するなど中原諸侯を構成した諸国とも密接な関わりを持ち、居住地も中原北部に点在し北方諸侯に属する都市国家群の点状に分散する領地の間に広く居住していた。

商・周の時代

晩期の地層から多数の青銅器や陶器が出土するなど商前期からの生産力の発展が見られ、また多くの遺跡から商様式の器物が見つかっており華夏族との交流が覗える。一方で商・時代は奴隷制の全盛時代でもあって、その供給源は主に戦争によるが、商・周王朝は頻繁に周辺国へ侵攻し、両民族の間に激しい戦闘が度々起きていた事が史書の記述にも残る。特に周の時代に入ると大規模な戦争が繰り返し行われ[2]、戦争によって翟人は関中などの西北地域から追われて、多くが東や北へ移動したとされる。

春秋戦国時代

周王朝が衰えると、河北や山西などの長城沿いに居た白狄が大挙して南下を始め、中山と呼ばれる強大な狄人国家を建て、後に諸侯国となった。また、晋の文公重耳に仕え、外戚ともなった重臣狐偃狐氏一族が、白狄の出身であったことがよく知られる。中山国は春秋戦国時代、中原の争乱へ参与したが趙に滅ぼされ、白狄人は華夏人の中に同化していった。

赤狄

他方、比較的北方に居住していた最大人口を保持する赤狄は、紀元前11世紀頃から主として北や北西に移動しつつ、大挙してモンゴル高原や南シベリア・満州・朝鮮の原住民を征服、中原の技術や産物を持ち込み大きな変化と人口増加をもたらした。後の匈奴で一部分を構成したとされ、また西方へ伝播した遊牧文化の流れも、この移動に起因すると考えられている。

脚注

  1. ^ 白鳥庫吉は狄をテュルク系であるという見解を示している。
  2. ^ 『逸周書』には周の初期に数百の国を滅亡または服属させ、五千人を斬首・捕虜13000人を得たと記す

参考資料

関連項目