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'''龍岡彭氏'''({{lang-ko|용강팽씨}})は、[[朝鮮]]の[[氏族]]の一つ。[[本貫]]は[[南浦特別市]][[龍岡郡]]である。[[2000年]]調査では、795人である。 |
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始祖は、[[中国]]の[[金陵]]出身で、[[1351年]]に[[恭愍王]]に降嫁された[[魯国公主]]の師父として[[高麗]]に入国した[[彭逖]]である。 |
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彭逖の官職は内閣学士であり、その後、龍岡伯に封ぜられ |
彭逖の官職は内閣学士であり、その後、龍岡伯に封ぜられ、彭逖の子孫が本貫を龍岡に定め、龍岡彭氏を創始した。 |
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== 参考文献 == |
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2017年9月12日 (火) 17:49時点における版
龍岡彭氏 | |
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氏族 | |
国 | 朝鮮 |
領地 | 龍岡郡 |
家祖 | 彭逖 |
龍岡彭氏(朝鮮語: 용강팽씨)は、朝鮮の氏族の一つ。本貫は南浦特別市龍岡郡である。2000年調査では、795人である。
始祖は、中国の金陵出身で、1351年に恭愍王に降嫁された魯国公主の師父として高麗に入国した彭逖である。
彭逖の官職は内閣学士であり、その後、龍岡伯に封ぜられ、彭逖の子孫が本貫を龍岡に定め、龍岡彭氏を創始した。
参考文献
- ネイバー知識検索 팽 彭. 斗山世界大百科事典
- 金光林 (2014). A Comparison of the Korean and Japanese Approaches to Foreign Family Names. Journal of Cultural Interaction in East Asia Vol.5 東アジア文化交渉学会p21