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2017年4月5日 (水) 08:30時点における版
はやしだ しげかず 林田 繁和 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 長崎県長崎市 |
生年月日 | 1966年10月27日(57歳) |
血液型 | B型 |
最終学歴 | 長崎大学 |
勤務局 | NBC長崎放送 |
部署 | アナウンス部 |
活動期間 | 1991年 - |
ジャンル | 地域報道 |
出演番組・活動 | |
出演中 | 『報道センターNBC』 |
出演経歴 | (本文参照) |
林田 繁和(はやしだ しげかず、1966年10月27日 - )は、NBC長崎放送アナウンサー。
経歴・人物
長崎県長崎市出身。長崎県立長崎東高等学校、長崎大学卒業後の1991年、NBC長崎放送に入社。
担当番組
現在
- テレビ
- Nスタ プラス長崎(2016年4月 - )
- ラジオ
- きかせられないラジオ
- 情報コンビニ 午後ですよ(月曜 - 水曜、2012年4月 - )
- さくら町ステーション(日曜 12:00-12:57 出演アナウンサーは、週替わり)
- 想い出の花束-あの日、あの時、あのメロディー-(月曜-金曜18:00-18:10 なお、NBCラジオ佐賀では、月曜-木曜の同時間帯)
過去
- テレビ
- ラジオ
- 電リクランド恵子のサンデーコースター
- 林田君のRing!Deng!電リクリリンのリン!
- 林田君の向こう三軒両隣り
- 満腹ワイド ラジDONぶり
エピソード
- 近年はラジオの出番は少なかった。『報道センターNBC』降板から『あっぷる』着任までの間、昼ワイドのレギュラーを持っていた。2012年春の改編からラジオ中心の活動となる。
- 1990年代、全国のラジオ局は電リクを廃止してメール・ファックスリクエストに方針転換したが、電リク番組を担当していた林田アナもこの転換によって「最後の電リクパーソナリティ」になった。
- 2002年には村山仁志アナと林田アナの企画・出演による「トーキングセッション男子アナ天国」を開催。同年秋にはNBCアナウンサー総出のイベント「アナアナ大作戦」を開催。NBCの名物イベントとなっている。しかしイベントが大きくなるにつれて、林田アナは制作にかかわる時間が確保しづらくなり、村山アナ主導に傾きつつある。2004年秋に「男子アナ完結篇(仮)」として完結すると言っていたが、結局は2011年まで続いた。
- 年代が近い村山アナとは馬が合い、親が転勤族で長崎のクロスネット時代の記憶が少ない村山アナにとって、生粋の長崎育ちの林田アナは『想い出の花束』の情報源である。林田アナも『科学忍者隊ガッチャマン』恒例の“バードミサイル発射許可を巡る健とジョーの口論”をたびたびラジオ内で語っている。
- 村山アナとのアニメ談義は、2009年4月開始の『きかせられないラジオ』にて聞くことができる(NBCのポッドキャストにて、全編配信中)。
- 2010年には、JNN系列で優秀なアナウンサーに与えられるアノンシスト賞のテレビフリートーク部門最優秀賞並びに大賞(グランダ・プレミオ)を受賞[1]。2011年にはラジオフリートーク部門最優秀賞(『きかせられないラジオ』)とテレビフリートーク部門優秀賞(『あっぷる』)をダブル受賞する。
- 長崎大学落語研究会OB[2]であり、「長楽亭凡太」の名前で高座に上がることもある。長崎あざみ落語会のメンバーでもある。落語の実力は高く、2012年の第4回社会人落語日本一決定戦で3位に入賞した。
脚注
- ^ 長崎放送番組審議会 第508回
- ^ 長崎大学落語研究会「ENTER」→「データベース」→「系図」の第14代で確認できる。