「佐藤陽子 (ヴァイオリニスト)」の版間の差分
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[[1976年]]に帰国し、アーティストとしての演奏活動のかたわら、[[エッセイ]]の執筆や[[ミュージカル]]歌手として[[タレント]]活動も続けた。私生活ではパリで知り合った外務官僚・[[岡本行夫]]と大恋愛の末に24歳で結婚するも、[[池田満寿夫]]とローマで運命的な出会いをし1979年に離婚。同年池田と共同で個人事務所を設立。池田の撮影[[モデル (職業)|モデル]]を務めるなどもし、しばしば[[芸能界]]でもおしどり夫婦として話題になったが、池田側の事情によって、両者が正式の夫婦になったことは一度もなかった。池田が死去する前後の一時期は演奏活動が停滞したが、近年では、レクチャー・コンサートや慈善演奏会、ワークショップにおける青少年の指導に力を注いでいる。 |
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==著書== |
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*『17の変奏曲 佐藤陽子のG線対談』[[読売新聞社]] 1979 |
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*『音楽のある街角』[[講談社]] 1980 |
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*『スポット・ライト 音楽のきこえる話』[[角川文庫]] 1981 |
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*『Masuo my love』ケイエスエス 1998 |
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===共編著=== |
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*『昼の眠りと夜の目醒め』池田満寿夫共著 講談社 1979 |
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*『食后のラブレター』池田満寿夫共著 [[主婦の友社]] 1984 |
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*『クライマックスはご一緒に いつまでも"男と女"でいるための愛し方』池田満寿夫共著 [[主婦と生活社]] 1986 |
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*『こういう女ならすべて失ってもいい』池田満寿夫共著 [[青春出版社]] 1988 のち文庫 |
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*『20世紀レコード・ジャケット傑作集』池田満寿夫共監修・選 [[毎日新聞社]] 1998 |
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*『池田満寿夫愛のありか』編 [[二玄社]] 2002 |
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== 主なテレビ出演 == |
== 主なテレビ出演 == |
2017年4月4日 (火) 12:41時点における版
佐藤 陽子(さとう ようこ、1949年10月14日 - )は、日本人ヴァイオリニスト・声楽家・エッセイスト。 福島県福島市出身。
来歴
3歳よりヴァイオリン教育を始める。1958年に来日中のレオニード・コーガンに才能を認められ、翌年よりソ連政府の給費留学生としてモスクワ音楽院附属学校に進学、コーガンに師事。1962年にキリル・コンドラシンの指揮によりモスクワデビューを果たし、1966年にはチャイコフスキー国際コンクール第3位を受賞。同年9月よりモスクワ音楽院に進学。1969年にロン=ティボー国際コンクール第3位。1971年にモスクワ音楽院を首席で卒業した後、フランスに留学して翌1972年よりヨゼフ・シゲティの門を叩く。声楽をマリア・カラスに師事し、ソプラノ歌手としてジュゼッペ・ディ・ステファーノらと共演。
1976年に帰国し、アーティストとしての演奏活動のかたわら、エッセイの執筆やミュージカル歌手としてタレント活動も続けた。私生活ではパリで知り合った外務官僚・岡本行夫と大恋愛の末に24歳で結婚するも、池田満寿夫とローマで運命的な出会いをし1979年に離婚。同年池田と共同で個人事務所を設立。池田の撮影モデルを務めるなどもし、しばしば芸能界でもおしどり夫婦として話題になったが、池田側の事情によって、両者が正式の夫婦になったことは一度もなかった。池田が死去する前後の一時期は演奏活動が停滞したが、近年では、レクチャー・コンサートや慈善演奏会、ワークショップにおける青少年の指導に力を注いでいる。
著書
- 『17の変奏曲 佐藤陽子のG線対談』読売新聞社 1979
- 『音楽のある街角』講談社 1980
- 『スポット・ライト 音楽のきこえる話』角川文庫 1981
- 『Masuo my love』ケイエスエス 1998
共編著
- 『昼の眠りと夜の目醒め』池田満寿夫共著 講談社 1979
- 『食后のラブレター』池田満寿夫共著 主婦の友社 1984
- 『クライマックスはご一緒に いつまでも"男と女"でいるための愛し方』池田満寿夫共著 主婦と生活社 1986
- 『こういう女ならすべて失ってもいい』池田満寿夫共著 青春出版社 1988 のち文庫
- 『20世紀レコード・ジャケット傑作集』池田満寿夫共監修・選 毎日新聞社 1998
- 『池田満寿夫愛のありか』編 二玄社 2002
主なテレビ出演
- 象印クイズヒントでピント(レギュラー解答者)(1979年10月7日 - 1980年3月30日、テレビ朝日)[1]
- 大奥(1983年、関西テレビ) - おらん 役
- 月曜ドラマランド「奥様は不良少女!? おさな妻」(1985年4月10日、フジテレビ)
CM出演
ツクダオリジナル「オセロゲーム」(1992年)※池田満寿夫と共演。