「ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール」の版間の差分
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'''ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール'''(''Louis Jacques Mandé Daguerre'' 、[[1787年]][[11月18日]] - [[1851年]][[7月10日]])は、[[フランス]]の[[画家]]、[[写真家]]。史上初めて実用的な[[写真]]技術を完成した人物として知られる。 |
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写真の研究を行う前は、[[パリ]]で舞台背景画家・[[パノラマ]]画家・[[ジオラマ]]作家として活躍していた。 |
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ダゲールはニエプスの死後も研究を続け、[[1839年]]に[[ダゲレオタイプ|銀板写真]]法を発表した。このカメラは発明者の名前をとって[[ダゲレオタイプ]]と呼ばれ、露光時間を10-20分から最終的には1-2分にまで抑えることに成功し、肖像写真の撮影も容易なものとなった。 |
ダゲールはニエプスの死後も研究を続け、[[1839年]]に[[ダゲレオタイプ|銀板写真]]法を発表した。このカメラは発明者の名前をとって[[ダゲレオタイプ]]と呼ばれ、露光時間を10-20分から最終的には1-2分にまで抑えることに成功し、肖像写真の撮影も容易なものとなった。 |
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ダゲールによるダゲレオタイプは、一般の人々でも制作可能な設備・装置、現実的範囲の撮影所要時間と、撮影した映像の定着保存技術をすべて実現させたことで、実用的な写真法の端緒となった。ダゲールは当時のフランスを代表する科学者[[フランソワ・アラゴ]]に新たな写真技術への推薦を求めたところ、アラゴはその有益なことを認めてこれをフランス政府に推挙した。フランス政府は公益のため、ダゲールへ補償として終身[[年金]]を支給することで、写真技術を一般に公開した。その結果、銀板写真法は19世紀中期、世界中で急速に普及することになった。 |
ダゲールによるダゲレオタイプは、一般の人々でも制作可能な設備・装置、現実的範囲の撮影所要時間と、撮影した映像の定着保存技術をすべて実現させたことで、実用的な写真法の端緒となった。ダゲールは当時のフランスを代表する科学者[[フランソワ・アラゴ]]に新たな写真技術への推薦を求めたところ、アラゴはその有益なことを認めてこれをフランス政府に推挙した。フランス政府は公益のため、ダゲールへ補償として終身[[年金]]を支給することで、写真技術を一般に公開した。その結果、銀板写真法は19世紀中期、世界中で急速に普及することになった。 |
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1851年7月10日、ダゲールはパリから12km離れたシュールマルヌで死亡し、彼の墓もそこに建てられた。ダゲールの名前は、72名のうちの一つとして[[エッフェル塔]]に刻まれている。 |
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== 作品 == |
== 作品 == |
2016年9月17日 (土) 13:45時点における版
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール Louis Daguerre | |
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生誕 |
1787年11月18日 フランス ヴァル=ドワーズ県コルメイユ=ザン=パリジ |
死没 | 1851年7月10日(63歳没) |
著名な実績 | ダゲレオタイプの発明 |
署名 | |
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(Louis Jacques Mandé Daguerre 、1787年11月18日 - 1851年7月10日)は、フランスの画家、写真家。史上初めて実用的な写真技術を完成した人物として知られる。
写真の研究を行う前は、パリで舞台背景画家・パノラマ画家・ジオラマ作家として活躍していた。
生涯
ダゲールはフランスのコルメイユ=ザン=パリジ、バルドアーズで生まれた。彼はフランス初のパノラマ画家であるピエール・プレボに弟子入りし、建築、劇場の設計、およびパノラマ絵画を学んだ。彼は劇場にイリュージョンを作り出す技術に長け、演劇の有名デザイナーとして活躍した後、1822年7月パリに自分が発明したジオラマ劇場を開設した。
1829年、先に写真術の研究を開始していた発明家ニセフォール・ニエプスと共同し、その改良方法の研究を始めた。ニエプスは1826年に最初の写真術であるヘリオグラフィーを発明し、世界最初の写真を残しているが、その露光時間は8時間程度を要するもので、到底一般的な実用に耐える技術ではなかった。
ダゲールはニエプスの死後も研究を続け、1839年に銀板写真法を発表した。このカメラは発明者の名前をとってダゲレオタイプと呼ばれ、露光時間を10-20分から最終的には1-2分にまで抑えることに成功し、肖像写真の撮影も容易なものとなった。
ダゲールによるダゲレオタイプは、一般の人々でも制作可能な設備・装置、現実的範囲の撮影所要時間と、撮影した映像の定着保存技術をすべて実現させたことで、実用的な写真法の端緒となった。ダゲールは当時のフランスを代表する科学者フランソワ・アラゴに新たな写真技術への推薦を求めたところ、アラゴはその有益なことを認めてこれをフランス政府に推挙した。フランス政府は公益のため、ダゲールへ補償として終身年金を支給することで、写真技術を一般に公開した。その結果、銀板写真法は19世紀中期、世界中で急速に普及することになった。
1851年7月10日、ダゲールはパリから12km離れたシュールマルヌで死亡し、彼の墓もそこに建てられた。ダゲールの名前は、72名のうちの一つとしてエッフェル塔に刻まれている。
作品
いずれもダゲール自らの肖像写真。
関連項目
- ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット - ダゲールと同時期に写真の研究を行っていた人物
- カロタイプ - タルボットが発明した写真技法
- ダゲール (小惑星)
外部リンク
- ダゲールと写真の発明 メトロポリタン美術館(英語)