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'''ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール'''(''Louis Jacques Mandé Daguerre'' 、[[1787年]][[11月18日]] - [[1851年]][[7月10日]])は、[[フランス]]の[[画家]]、[[写真家]]。史上初めて実用的な[[写真]]技術を完成した人物として知られる。また優れた画家であり、ジオラマ劇場の開発者である。
'''ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール'''(''Louis Jacques Mandé Daguerre'' 、[[1787年]][[11月18日]] - [[1851年]][[7月10日]])は、[[フランス]]の[[画家]]、[[写真家]]。史上初めて実用的な[[写真]]技術を完成した人物として知られる。


写真の研究を行う前は、[[パリ]]で舞台背景画家・[[パノラマ]]画家・[[ジオラマ]]作家として活躍していた。
写真の研究を行う前は、[[パリ]]で舞台背景画家・[[パノラマ]]画家・[[ジオラマ]]作家として活躍していた。


==生涯==
同じ画家で先に写真研究を開始していた[[ニセフォール・ニエプス]]とともにカメラの研究を始。ニエプスは[[1826年]]に最初の写真術である[[ヘリオグラフィー]]を発明し、世界最初の写真を残しているが、その露光時間は8時間程度を要するもので、到底一般的な実用に耐える技術ではなかった。

ダゲールはフランスのコルメイユ=ザン=パリジ、バルドアーズで生まれた。彼はフランス初のパノラマ画家である{{仮リンク|ピエール・プレボ|en|Pierre Prévost}}に弟子入りし、建築、劇場の設計、およびパノラマ絵画を学んだ。彼は劇場にイリュージョンを作り出す技術に長け、演劇の有名デザイナーとして活躍した後、1822年7月パリに自分が発明したジオラマ劇場を開設した。

1829年、先に写真術の研究を開始していた発明家[[ニセフォール・ニエプス]]と共同し、その改良方法の研究を始めた。ニエプスは[[1826年]]に最初の写真術である[[ヘリオグラフィー]]を発明し、世界最初の写真を残しているが、その露光時間は8時間程度を要するもので、到底一般的な実用に耐える技術ではなかった。


ダゲールはニエプスの死後も研究を続け、[[1839年]]に[[ダゲレオタイプ|銀板写真]]法を発表した。このカメラは発明者の名前をとって[[ダゲレオタイプ]]と呼ばれ、露光時間を10-20分から最終的には1-2分にまで抑えることに成功し、肖像写真の撮影も容易なものとなった。
ダゲールはニエプスの死後も研究を続け、[[1839年]]に[[ダゲレオタイプ|銀板写真]]法を発表した。このカメラは発明者の名前をとって[[ダゲレオタイプ]]と呼ばれ、露光時間を10-20分から最終的には1-2分にまで抑えることに成功し、肖像写真の撮影も容易なものとなった。


ダゲールによるダゲレオタイプは、一般の人々でも制作可能な設備・装置、現実的範囲の撮影所要時間と、撮影した映像の定着保存技術をすべて実現させたことで、実用的な写真法の端緒となった。ダゲールは当時のフランスを代表する科学者[[フランソワ・アラゴ]]に新たな写真技術への推薦を求めたところ、アラゴはその有益なことを認めてこれをフランス政府に推挙した。フランス政府は公益のため、ダゲールへ補償として終身[[年金]]を支給することで、写真技術を一般に公開した。その結果、銀板写真法は19世紀中期、世界中で急速に普及することになった。
ダゲールによるダゲレオタイプは、一般の人々でも制作可能な設備・装置、現実的範囲の撮影所要時間と、撮影した映像の定着保存技術をすべて実現させたことで、実用的な写真法の端緒となった。ダゲールは当時のフランスを代表する科学者[[フランソワ・アラゴ]]に新たな写真技術への推薦を求めたところ、アラゴはその有益なことを認めてこれをフランス政府に推挙した。フランス政府は公益のため、ダゲールへ補償として終身[[年金]]を支給することで、写真技術を一般に公開した。その結果、銀板写真法は19世紀中期、世界中で急速に普及することになった。

1851年7月10日、ダゲールはパリから12km離れたシュールマルヌで死亡し、彼の墓もそこに建てられた。ダゲールの名前は、72名のうちの一つとして[[エッフェル塔]]に刻まれている。


== 作品 ==
== 作品 ==

2016年9月17日 (土) 13:45時点における版

ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール
Louis Daguerre
生誕 1787年11月18日
フランスの旗 フランス ヴァル=ドワーズ県コルメイユ=ザン=パリジ
死没 (1851-07-10) 1851年7月10日(63歳没)
著名な実績 ダゲレオタイプの発明
署名
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ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールLouis Jacques Mandé Daguerre1787年11月18日 - 1851年7月10日)は、フランス画家写真家。史上初めて実用的な写真技術を完成した人物として知られる。

写真の研究を行う前は、パリで舞台背景画家・パノラマ画家・ジオラマ作家として活躍していた。

生涯

ダゲールはフランスのコルメイユ=ザン=パリジ、バルドアーズで生まれた。彼はフランス初のパノラマ画家であるピエール・プレボ英語版に弟子入りし、建築、劇場の設計、およびパノラマ絵画を学んだ。彼は劇場にイリュージョンを作り出す技術に長け、演劇の有名デザイナーとして活躍した後、1822年7月パリに自分が発明したジオラマ劇場を開設した。

1829年、先に写真術の研究を開始していた発明家ニセフォール・ニエプスと共同し、その改良方法の研究を始めた。ニエプスは1826年に最初の写真術であるヘリオグラフィーを発明し、世界最初の写真を残しているが、その露光時間は8時間程度を要するもので、到底一般的な実用に耐える技術ではなかった。

ダゲールはニエプスの死後も研究を続け、1839年銀板写真法を発表した。このカメラは発明者の名前をとってダゲレオタイプと呼ばれ、露光時間を10-20分から最終的には1-2分にまで抑えることに成功し、肖像写真の撮影も容易なものとなった。

ダゲールによるダゲレオタイプは、一般の人々でも制作可能な設備・装置、現実的範囲の撮影所要時間と、撮影した映像の定着保存技術をすべて実現させたことで、実用的な写真法の端緒となった。ダゲールは当時のフランスを代表する科学者フランソワ・アラゴに新たな写真技術への推薦を求めたところ、アラゴはその有益なことを認めてこれをフランス政府に推挙した。フランス政府は公益のため、ダゲールへ補償として終身年金を支給することで、写真技術を一般に公開した。その結果、銀板写真法は19世紀中期、世界中で急速に普及することになった。

1851年7月10日、ダゲールはパリから12km離れたシュールマルヌで死亡し、彼の墓もそこに建てられた。ダゲールの名前は、72名のうちの一つとしてエッフェル塔に刻まれている。

作品

いずれもダゲール自らの肖像写真。

関連項目

外部リンク