「穂積虫麻呂」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目: 1行目:
'''穂積 虫麻呂'''(ほづみ の むしまろ、生没年不詳)は、[[飛鳥時代]]の人物。[[カバネ|姓]]は[[臣]]、のち[[朝臣]]。[[穂積百足]]の子とされる。[[冠位]]は[[直広肆]]。
'''穂積 虫麻呂'''(ほづみ の むしまろ、生没年不詳)は、[[飛鳥時代]]の人物。[[カバネ|姓]]は[[臣]]、のち[[朝臣]]。[[穂積百足]]の子とされる。[[冠位]]は[[直広肆]]。


虫麻呂は天武13年([[684年]])11月に、一族の稲足、[[穂積濃美麻呂|濃美麻呂]]らとともに[[八色の姓]]制定に伴い新たに穂積朝臣姓を賜った。[[朱鳥]]元年([[686年]])正月には新羅使[[金智祥]]を饗するため[[筑紫国]]に遣わされた。このときの[[冠位]]は[[直広肆]]であった。同年9月29日には、[[天武天皇]]の[[殯庭]]に諸[[国司]]の事を[[奏上]]した。
虫麻呂は天武13年([[684年]])11月に、一族の稲足、[[穂積濃美麻呂|濃美麻呂]]らとともに[[八色の姓]]制定に伴い新たに穂積朝臣姓を賜った。[[朱鳥]]元年([[686年]])正月には[[新羅使]]・[[金智祥]]を饗するため[[筑紫国]]に遣わされた。このときの[[冠位]]は[[直広肆]]であった。同年9月29日には、[[天武天皇]]の[[殯庭]]に諸[[国司]]の事を[[奏上]]した。


== 系譜 ==
== 系譜 ==

2015年7月6日 (月) 14:17時点における版

穂積 虫麻呂(ほづみ の むしまろ、生没年不詳)は、飛鳥時代の人物。、のち朝臣穂積百足の子とされる。冠位直広肆

虫麻呂は天武13年(684年)11月に、一族の稲足、濃美麻呂らとともに八色の姓制定に伴い新たに穂積朝臣姓を賜った。朱鳥元年(686年)正月には新羅使金智祥を饗するため筑紫国に遣わされた。このときの冠位直広肆であった。同年9月29日には、天武天皇殯庭に諸国司の事を奏上した。

系譜

参考文献

  • 鈴木淳介『穂積姓鈴木氏 - 紀州徳川二七〇年鈴木家系譜』1982年
  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年