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2015年3月23日 (月) 06:14時点における版
北朝鮮漂流船問題(きたちょうせんひょうりゅうせんもんだい)とは2012年1月に朝鮮民主主義人民共和国の船が日本の領海に漂流していた問題。
2012年1月6日に日本海の島根県・隠岐島の近海で不審な小型木造船がいるという情報に基づき、海上保安庁第八管区海上保安本部(京都府舞鶴市)の巡視船と航空機によって島根県・隠岐島沖合約1キロ付近の海上で、いかりが下ろされた状態の木造船を確認された。船の大きさは全長約7メートル・幅約2メートルで、船体にはハングル文字が書かれており、GPS(衛星利用測位システム)が搭載されており、空になった燃料タンクがあり、水や食料はなかった[1]。
船には3人男性が生存しており、他1人男性が低体温症で衰弱死していた。船員は北朝鮮の漁民を名乗り、2011年12月中旬に漁に出ている際に遭難し、死亡した男性は数日前に死亡したと話している。また北朝鮮最高指導者の金正日の死去(2011年12月19日発表)は知らなかったと話す一方で、北朝鮮への帰国を希望している。この船については亡命目的や工作活動の説も出ていたが、日本政府は北朝鮮漁船の遭難と判断した。
日本と北朝鮮は非公式協議で帰国手続きを取ることで合意[2]。1月9日に3人は福岡空港から北京を経由して北朝鮮に帰国した。1月19日に成人男性の1遺体は日本赤十字社の手で火葬された遺骨が在日本朝鮮人総連合会に引き渡された。
脚注
- ^ 北朝鮮漂流船:「1人は徐々に衰弱し数日前に死亡」 毎日新聞 2012年1月7日
- ^ 漂流船の3人、北朝鮮に帰国へ…中国で引き渡し 読売新聞 2012年1月9日