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'''三神峯公園'''(みかみねこうえん)は、[[宮城県]][[仙台市]][[太白区]]にある[[風致公園]]。仙台市南部の桜の名所として知られる。
'''三神峯公園'''(みかみねこうえん)は、[[宮城県]][[仙台市]][[太白区]]の[[三神峯]]という低山にある[[風致公園]]である。仙台市南部の[[サクラ|]]の名所として知られる。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[青葉山 (仙台市)|青葉山]]丘陵東南の台地、[[長町副都心]]の西約2kmに位置する[[風致公園]]。仙台市内一、多くの桜の木が植樹されており<ref>[http://www.city.sendai.jp/kensetsu/ryokka/midori100/guide/066/066.html 三神峯公園] 杜の都 緑の名所100選</ref>、シーズン時には多くの花見客でにぎわう。公園の大部分が三神峯遺跡に指定されている
[[青葉山 (仙台市)|青葉山]]丘陵東南の台地、[[長町副都心]]の西約2kmに位置する。最高点は69メートル。崖下の平地との標高差は40メートルほどである。仙台市内でもっとも多くの桜の木が植樹されており<ref>[http://www.city.sendai.jp/kensetsu/ryokka/midori100/guide/066/066.html 三神峯公園] 杜の都 緑の名所100選</ref>、シーズン時には多くの花見客でにぎわう。

[[縄文時代]]には複数の[[竪穴住居]]が作られ、[[古墳時代]]には小さな[[古墳]]が築かれた。近代以降は[[仙台陸軍幼年学校]]、旧制の[[第二高等学校 (旧制)|]、[[東北大学]]に利用され、1967年に三神峯公園が設置された。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
園内には三神峯遺跡が所在し、[[縄文時代]]前期に大規模な集落が存在した推測さている<ref>[http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/iseki/c0000000111.html 三神峯遺跡] 仙台市</ref>。8棟の[[竪穴式住居]]の遺構が発見されたほか、[[縄文土器]]や石器出土している<ref>[https://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/mikamine.html 三神峯遺跡・上野遺跡] 仙台市 太白区の自然と遺跡</ref>。
三神峯には[[縄文時代]]前期に集落があり、[[三神峯遺跡]]呼ばれる<ref>[http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/iseki/c0000000111.html 三神峯遺跡] 仙台市</ref>。8棟の[[竪穴式住居]]の遺構が発見されたほか、多数の[[縄文土器]]や石器出土し<ref>[https://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/mikamine.html 三神峯遺跡・上野遺跡] 仙台市 太白区の自然と遺跡</ref>。[[弥生時代]]の遺物は知られないが、[[古墳時代]]に3つの小さな古墳([[三神峯古墳]])が築かれ、南の崖下に[[富沢窯]]、東斜面に[[金山窯]]が置かれた。た

以後長らく三神峯は歴史にあらわれないが、近代に入って[[1937年]](昭和12年)に、[[仙台陸軍幼年学校]]が場所を三神峯に定めて再建された。同校ははじめ今の宮城野区五輪一丁目に校舎を置いていたが、[[1924年]](大正13年)に廃止されていた。幼年学校は、[[1945年]](昭和20年)の7月10日にあった[[仙台空襲]]で被害を受け、敗戦で陸軍とともに廃止された<ref>『仙台市史』通史編7(近代2)514頁。</ref>。

そのあとには[[1945年]]より[[旧制]][[第二高等学校 (旧制)|(旧制)第二高等学校]]の校舎として利用された。[[1949年]]に二高が[[東北大学]]に併合されると、三神峯の校舎東北大学の第一教養部の校地となった。続いて大学の学生寮の一つ、[[東北大学の学生寮#明善寮|明善寮]]([[学生寮]])も建てられた。[[1958年]](昭和33年)に校舎は[[青葉区 (仙台市)|青葉区]]川内へ移転。明善寮も青葉区[[上杉]]に移転し


その後、キャンパスの跡地に[[仙台市]]が公園を設置することを決め、 [[1967年]](昭和42年)三神峯公園ができた。設置時から現在まで、数次の発掘調査で、多数の[[縄文時代]]の遺物・遺構が見つかっている。
[[1937年]]には[[仙台陸軍幼学校]]が設置される。[[1945年]]より[[第二高等学校 (旧制)|(旧制)第二高等学校]]の校舎として利用され[[1949年]]には[[東北大学の学生寮#明善寮|明善寮]]([[学生寮]])も建設された。[[1958年]]校舎は[[青葉区 (仙台市)|青葉区]]川内へ移転。明善寮も、現在は青葉区[[上杉]]に移転している


=== 年表 ===
=== 年表 ===
* [[縄文時代]]前期 - 大規模な集落を形成
* [[縄文時代]]前期 - [[三神峯遺跡]]
* [[古墳時代]] - [[三神峯古墳]]。
* [[1937年]](昭和12年)4月1日 - [[仙台陸軍幼年学校]]設置。
* [[1937年]](昭和12年)4月1日 - [[仙台陸軍幼年学校]]設置。
* [[1945年]](昭和20年)
** [[7月10日]] - [[仙台空襲]]により罹災。
** [[7月10日]] - [[仙台空襲]]により罹災。
** [[8月15日]] - [[終戦]]に伴い、廃止。[[第二高等学校 (旧制)|(旧制)第二高等学校]]三神峯校舎として使用
** [[8月15日]] - [[終戦]]に伴い、幼年学校廃止。
** [[第二高等学校 (旧制)|(旧制)第二高等学校]]三神峯校舎とになる
* [[1949年]](昭和24年)
* [[1949年]](昭和24年)
** [[東北大学]]第一教養部富沢分校となる。
** [[東北大学]]第一教養部富沢分校となる。
** 5月 - 明善寮建設。
** 5月 - 明善寮建設。
* [[1958年]](昭和33年) - 川内校舎へ移転。
* [[1958年]](昭和33年) - 教養部が川内校舎へ移転。
* [[1967年]](昭和42年) - 開園。
* [[1967年]](昭和42年) - 三神峯公園が開園した
** 7月7日-31日 - 三神峯遺跡第1次発掘調査。
* [[1973年]](昭和48年) - [[仙台市教育委員会]]による遺跡調査により、仙台市内で初めて[[縄文時代]]前期の[[竪穴式住居]]跡発見された。
* [[1973年]](昭和48年) - 三神峯遺跡第2次発掘調査仙台市内で初めて[[縄文時代]]の[[竪穴式住居]]跡発見た。
* [[1975年]](昭和50年) - 三神峯遺跡第3次発掘調査。
* [[1994年]]([[平成]]6年)1月10日-11日 - 三神峯遺跡第4次発掘調査(公衆便所の設置にともなう)。
** 12月15日 - 三神峯遺跡第4次発掘調査(身障者公衆便所の設置にともなう)。
* [[2007年]](平成19年)3月12日-20日 - 三神峯古墳・三神峯遺跡第5次発掘調査。
** 8月22日 - 9月7日 - 三神峯遺跡第5次発掘調査。
* [[2008年]](平成20年)6月26日 - 9月16日 - 三神峯遺跡第6次発掘調査。


== 三神峯遺跡 ==
== 三神峯遺跡 ==

2014年4月1日 (火) 01:15時点における版

三神峯公園
Mikamine Park
分類 都市公園 > 特殊公園 > 風致公園
所在地
宮城県仙台市太白区三神峯一丁目
座標 北緯38度13分28.9秒 東経140度51分27.4秒 / 北緯38.224694度 東経140.857611度 / 38.224694; 140.857611座標: 北緯38度13分28.9秒 東経140度51分27.4秒 / 北緯38.224694度 東経140.857611度 / 38.224694; 140.857611
面積 8.1031 ha
前身 仙台陸軍幼年学校
(旧制)第二高等学校・明善寮(学生寮)
開園 1967年(昭和42年)
運営者 仙台市
設備・遊具 三神峯遺跡、芝生広場、四阿
アクセス 仙台市営バス宮城交通
西多賀一丁目西・三神峯公園入口バス停
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三神峯公園(みかみねこうえん)は、宮城県仙台市太白区三神峯という低山にある風致公園である。仙台市南部のの名所として知られる。

概要

青葉山丘陵東南の台地、長町副都心の西約2kmに位置する。最高点は69メートル。崖下の平地との標高差は40メートルほどである。仙台市内でもっとも多くの桜の木が植樹されており[1]、シーズン時には多くの花見客でにぎわう。

縄文時代には複数の竪穴住居が作られ、古墳時代には小さな古墳が築かれた。近代以降は仙台陸軍幼年学校、旧制の[[第二高等学校 (旧制)|]、東北大学に利用され、1967年に三神峯公園が設置された。

歴史

三神峯には縄文時代前期に集落があり、三神峯遺跡と呼ばれる[2]。8棟の竪穴式住居の遺構が発見されたほか、多数の縄文土器や石器が出土した[3]弥生時代の遺物は知られないが、古墳時代に3つの小さな古墳(三神峯古墳)が築かれ、南の崖下に富沢窯、東斜面に金山窯が置かれた。た。

以後長らく三神峯は歴史にあらわれないが、近代に入って1937年(昭和12年)に、仙台陸軍幼年学校が場所を三神峯に定めて再建された。同校ははじめ今の宮城野区五輪一丁目に校舎を置いていたが、1924年(大正13年)に廃止されていた。幼年学校は、1945年(昭和20年)の7月10日にあった仙台空襲で被害を受け、敗戦で陸軍とともに廃止された[4]

そのあとには、1945年より旧制(旧制)第二高等学校の校舎として利用された。1949年に二高が東北大学に併合されると、三神峯の校舎は東北大学の第一教養部の校地となった。続いて大学の学生寮の一つ、明善寮学生寮)も建てられた。1958年(昭和33年)に校舎は青葉区川内へ移転。明善寮も青葉区上杉に移転した。

その後、キャンパスの跡地に仙台市が公園を設置することを決め、 1967年(昭和42年)三神峯公園ができた。設置時から現在まで、数次の発掘調査で、多数の縄文時代の遺物・遺構が見つかっている。

年表

三神峯遺跡

公園内の約7.5haが遺跡に指定されている。三神峯遺跡は古くから知られており、1928年 東京大学発行の「石器時代遺物発見地名表」に掲載されている[5]。1967年、宮城教育大学による初めての本格的な遺跡調査を実施。1973年、仙台市教育委員会による調査によって、3棟の縄文時代前期の竪穴式住居跡を発見[5]。1975年の調査では、新たに5棟の竪穴式住居跡のほか、1基の土器埋設遺構、多数の土器や石器が発見された[5]

アクセス

公共交通機関

周辺

脚注

  1. ^ 三神峯公園 杜の都 緑の名所100選
  2. ^ 三神峯遺跡 仙台市
  3. ^ 三神峯遺跡・上野遺跡 仙台市 太白区の自然と遺跡
  4. ^ 『仙台市史』通史編7(近代2)514頁。
  5. ^ a b c 三神峯遺跡 詳細解説 仙台市

外部リンク